巨匠プレトニョフの天才的な指揮のもと演奏した、チャイコフスキー『眠り姫』の演奏中に、こう考えた。
熱情を持ったトゥッティ強奏は、オーケストラの醍醐味、頭が痺れるほど刺激的!けれどあまり続くと、なんだか独りになりたい。水を打ったように静かなオーケストラの弱奏は、この世のものとは思えぬ美しさを讃える…けれど、緊張する。
兎角にオーケストラの世は住みにくい。
ヴィオラは、基本的にアンサンブルのための楽器です。私はオーケストラが大好きですし、室内楽は至福の時。けれど、大勢の皆といてワイワイ騒いで楽しい時に、ふと寂しくなる時があったりしないでしょうか?ヴィオラは、アンサンブルの真ん中にいて常に人混みの中に居たいくせに、孤独な一人旅も好きなのです。
それを考える時、私はいつも次の 3つの楽曲の、3 つの瞬間を思います。
・マーラーの『交響曲第1番』の最終楽章の終わり付近、一連の盛り上がりのあとコラール風の静寂が訪れたとき、ヴィオラの軍団が突如咆哮します。発狂?そして、その勢いがオーケストラ全体に波及し、曲は怒涛の終結に向かいます。
・『幻想交響曲』の第3楽章の寂しげなコール・アングレと、舞台裏バンダオーボエとの、広野での対話。他の弦楽器は全て休みでまどろんでるところに、2 人の対話をより遠くへと吹き去ってしまうような、遠くの風の音を表すヴィオラ軍のトレモロ。ベルリオーズの天才を感じる瞬間です。
・ベートーヴェン『交響曲第5番』の最終楽章。オーケストラ全体で高らかに勝利の旋律を奏でているところ、ヴィオラは突撃隊よろしく、怒涛の16部音符 Do の連打。腕がもげる… しかし、これこそがベートーヴェンの目指した苦悩から歓喜へのエンジン、原動力と固く信じて、ヴィオラ軍団はいつも全力でこの Do、即ち Ut(階名の由来である聖ヨハネ賛歌によると Ut queant laxis あなたの僕(しもべ))を弾きます。
我々ヴィオラは、アンサンブルの潤滑油となりオーケストラを長閑にし、豊かな発想力をもって独りで行動するが故に尊いのです。
カフェ・モンタージュのおかげで、随分無伴奏ヴィオラ作品を演奏してこられました。アンサンブル楽器としてのヴィオラの魅力と、もう一つの顔である無伴奏楽曲でのヴィオラの魅力を探り、ヴィオラの真の音を追求する旅に出かけたいと思っています。
私の『無伴奏ヴィオラ巡礼の旅』の発案は、ここにあります。孤独を愛しつつ、皆んなと楽しく生きつつ、お世話になった土地すべてに感謝しつつ、各地の美味しいものを食べつつ、大好きなオーケストラや室内楽もしつつ、旅しながら生きていきたいな、と。
巡礼の目的は目的に着くことでなく、巡礼することそれ自体だと思っています。何処に行くのも自由、ゴールはなし。しかし、旅に出るなら、出発点だけは、どうしても一箇所に決めねばなりません。
私が、これから生涯をかけて、色々な場所で、『無伴奏ヴィオラ巡礼の旅』に出かけるため、その出発点をカフェ・モンタージュにおけるのは、この上ない幸せです。此処こそ、私の12年間の京都生活の拠点でしたし、今もこれからも、ずっと大好きで大切な場所、これからも変わらず、同じプログラムでも、様々な面白いと思う(自分だけ?)新しいプログラムでも、何度も何度でもこの場所で演奏したいと思う、最高の雰囲気のカフェなのですから!
― 小峰航一