プロコフィエフはピアノとヴァイオリンの為にはどうやら1つの作品しか書かなかったらしい、という話をします。
5つのメロディはアメリカで歌劇『3つのオレンジの恋』の準備をしていた際、カリフォルニアの自然の印象などを得て、1920年にヴォカリーズとピアノのための5つの歌(「無言歌」ともいわれる)として書かれました。この言葉を持たない歌曲は、のちに『3つのオレンジの恋』の初演を歌うことになるソプラノ歌手ニーナ・コシェッツに捧げられましたが、幅広い音域と深い表現を必要とするこの作品を生演奏で聴く機会は、今日ほとんどありません。その後、プロコフィエフはハンガリーのヴァイオリン奏者ヨーゼフ・シゲティの演奏からインスピレーションを得て、1925年にヴァイオリンとピアノのための『5つのメロディー』としてこの作品を書き直しました。第2曲の冒頭にヴァイオリンのピチカートが加えられているなど、ヴァイオリンの特性があますところなく生かされた名曲として、こちらは今日でも広く演奏されています。
ソナタ第2番は1943年にピアノとフルートのために書かれたソナタを、ロシアのヴァイオリン奏者ダヴィド・オイストラフの勧めに従って1947年に編曲したものです。フルートソナタのAndanteの中に、当時作曲を中断していたソナタ第1番のAndanteの雰囲気が反映されている部分があることから、この二つの作品はもともと姉妹のような関係にあったとも言えるかもしれません。ともあれ、もとのフルートソナタのオリジナル楽譜は出版されたものの演奏する人がいないまま普及せず、ヴァイオリン版を元にフランスのフルート奏者ランパルが校正した版が広く出回ったことで、いわばヴァイオリンソナタのフルート版が演奏されるという逆転現象が長らく問題となっていました。モスクワにあるプロコフィエフの自筆譜を参照しての批評校訂版が、もうすぐヘンレ社から出版されるとのことです。おそらくは同年に作曲が進んでいたバレエ音楽『シンデレラ』の「舞踏会を夢見るシンデレラ」のような場面を映したかのような、まさに夢見るような世界が広がる名作だと思っています。
プロコフィエフがロシアの定住を決断したのが1936年。まさにその年に始まった大粛清によって、プロコフィエフの周りにいた芸術家が次々に姿を消していく中、1938年に書き始められたのがソナタ第1番です。この作品は当初からヴァイオリンとピアノのために構想され、過去に書き溜めた音楽素材を使うことが珍しくなかったプロコフィエフにして、まったく新しいオリジナルの素材をつくるところから始められた大作の作曲作業は難航し、結局完成したのは1946年になっての事でした。3つの「戦争ソナタ」や交響曲第5番&第6番、歌劇『セミョーン・コトコ』 バレエ『シンデレラ』を含む、後期プロコフィエフの創作期を横断したこのソナタの壮大さについては、言葉ではなく、実際に演奏をお聴きいただくことが全てではないかと思われます。
いずれも、ヴァイオリンとピアノのデュオという、親密な語りから大交響楽までを切れ目なく表現する形態があってはじめて今日に残された、プロコフィエフによる傑作を全てお聴きいただきます。
― カフェ・モンタージュ 高田伸也