同じ編成の器楽曲を3曲(ないしその倍数)セットで出版するという古い伝統に従った、最後の世代の作曲家がベートーヴェンでした。
「作品31」としてまとめられた3曲のピアノ・ソナタに共通するのは、その音楽の“奇抜さ”でしょう。特に意表を突くのはソナタの開始の方法です。ト長調の第16番では右手の単音が16分音符1個ぶんだけ早く“フライングスタート”します(初めて聴く人は演奏者のミスだと思うかもしれません)。ニ短調の第17番は属和音の謎めいたアルペジオで、変ホ長調の第18番はサブドミナントの付加6の和音という、曲頭にはおおよそ使われないハーモニーから始まります。聴く人の頭に浮かぶ「?」は、曲を聴き進めるうちに解消され、「ああ、最初のあれはこういうことだったのか」と次第に納得することになります。
友人のクルンプホルツ(ヴァイオリニスト)に「今までの作品には満足していない。これからは新しい道を行く」と宣言したというエピソードが、この時期の実験的な作風の背景として語られますが、直前の作品26(第12番『葬送』)や作品27『幻想曲風ソナタ』(第13番・第14番『月光』)で伝統的な楽章構成を解体しようとしたことに比べると、作品31では枠組みはそのままに、音楽の中身そのものに変革をもたらそうとしたことがみてとれます。
一方で驚くべきは、この3曲のキャラクターが際立って相違しているということです。どこか憎めない愉快犯のような第16番。『テンペスト』の愛称でおなじみの第17番には無慈悲な嵐が吹きすさびます。緩徐楽章の抒情が排された朗らかな第18番は、まるで舞曲集(ポロネーズ→スケルツォ→メヌエット→タランテラ!)の様相。同じ作曲家が同じ時期にこれほど多彩な音楽を生み出したとは、にわかには信じられません。
ベートーヴェンが、最も身近で得意な「ピアノ」という道具を使って“新しい道”を切り拓いていった「ピアノ・ソナタ」という領土。これ以上進むと地図からはみ出してしまう、危うい辺境に位置するのが「作品31」なのだと思っています。
― 佐藤卓史
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この作品31の3つのソナタは、シューベルトの、とりわけ後期ソナタの中に様々な形で参照されているように感じます。
作品番号の表記で少しだけ書いてみますが、op.31-1の最終楽章はD959の最終楽章に、op.31-2の第1楽章はD959の第2楽章に、同じop.31-2の第2楽章はD960の第2楽章に、op.31-3の第1楽章はD894の第2楽章に、同じop.31-3の第3楽章はD960の第1楽章に、同じop.31-3の最終楽章はD958の最終楽章に。
ベートーヴェンの作品とシューベルトの作品は、別々に聴けばどちらかといえばすぐにはその類似には気がつかないものが多く、しかしいざルーツとして意識して聴いてみたときに、それぞれの作品の繋がりから世界の奥行きが広がっていくように感じられるのは自分だけでしょうか。
同じ時代に、同じ街に住んだ二人の天才の接触については、ほぼ文献が残されておらず、しかし作品を並べてみると確かにウィーンの同じ通りを時を違えて通過したり、同じ寺院の鐘の音を聴いていたりと、その繋がりについて様々な風景の想像が膨らんでいくように思います。
今回、外ならぬ佐藤卓史さんにこの特別な3曲を演奏していただけるとのことで、ある日のウィーン、出会いこそなくても二人の足跡の点と線が交差する街の穏やかな風を感じる瞬間、その先に、先駆者たるベートーヴェンが切り開いたピアノソナタの輝かしさに目が眩むような体験が待ち受けているのではないかと。皆様と一緒に聴かせていただけることをとても楽しみにしています。
― 高田伸也(カフェ・モンタージュ)