シューマン、シャコンヌ

シューマンの晩年、特に最後の5年くらいの作品のなかで、やたらと断片的な繰り返しが多いのは、やはりその神経の病の影響かと思っていたけれども、1851年作曲の2曲のヴァイオリンソナタを繰り返し聴いたり、その成立について色々と読んだりしているうちに、だんだんと捉え方が変わってきた。

シューマンは1850年にデュッセルドルフに管弦楽団の音楽監督として招聘され、早速その地で交響曲「ライン」とチェロ協奏曲を書いている。この2つの作品と翌年に作曲された2つのヴァイオリンソナタを比べると、後者の方がいわゆるシューマンの晩年の様式の特徴、その晦渋さを顕わにしている。

ヴァイオリンソナタ第1番は、初めはうまくいっていたデュッセルドルフ生活の中で「とても怒っている」状態で一気に書かれ、すぐに第2番が続いた。作品中にシューマンの内的葛藤が見えるのは明白だが、なぜシューマンはこれまで書かなかったジャンルに手を付けたか、ということまでは説明できない。

ここで大事なことが一つ。
シューマンは1850年頃から、バッハの6曲からなる無伴奏パルティータとソナタの研究を進めており、その6曲全部にピアノ伴奏をつけた版を1853年に出版している。ということは、1851年に作曲されたヴァイオリンソナタにもおのずとその研究の影響が表れているのではないか。

分かりやすい例としてヴァイオリンソナタの第2番を見ると、まずこの作品はシャコンヌと同じニ短調で書かれている。

シャコンヌのシューマンピアノ伴奏版とシューマンのソナタ第2番。

この二つの作品を並べて聴いてみると、古典派から受け継いだ有機的な発展構造を逸脱するかと見えた、断片的なモティーフの羅列と執拗な反復も、シューマン特有の詩情の発露の中で必然的に行われているように感じられてくると同時に、ロマン派におけるバッハ受容の貴重な足跡を辿る思いもするのだ

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2015年6月17日(水)20:00開演
「ヴァイオリンソナタ」
ヴァイオリン:佐久間聡一
ピアノ:鈴木華重子
http://www.cafe-montage.com/prg/150617.html