ハンマークラヴィーア・ソナタ

目が見えすぎて、普通の人間が見ないようなものばかりを見てしまい、目を閉じて生活している人がこの世にはいるのだろうか。ベートーヴェンは音が聴こえ過ぎて、普通に鳴っている音を聴く耳を失った作曲家である。

ハイドンは芸術上の最大の友たるモーツァルトをロンドン旅行中の1791年の末に亡くし、1792年の夏、ウィーンに帰る途中に立ち寄ったボンでベートーヴェンに会い、弟子として受け入れる決断をした。ベートーヴェンが歴史の中心に足を踏み入れた瞬間である。

この世にありて神を知覚する。そのことに奉仕するのは何よりも芸術であるとしながら、その聖杯の獲得に邁進した20年間。1809年にハイドンが死に、一つの時代の終結を見たベートーヴェンは1812年、ゲーテに会い、この世における神の不在を確認し、その後の数年間にわたって沈黙した。

神ではなく、人の歩いてきた道を遡っていったベートーヴェンは、5年間の沈黙を経て、新たな形を宿した祝祭の音楽を作り出すことになる。1817年、ベートーヴェンは 後に「ハンマークラヴィーア」と呼ばれることになる前代未聞のピアノソナタの作曲に着手した。

「ハンマークラヴィーア」のソナタは、その恐るべき長大さと超絶技巧の激しさの点で、現在でもこれに並ぶものがあるかどうかという大作であるが、例えばロマン派への架け橋という種類の役割を果たすことついては断固お断り。これぞ問題作というにふさわしい傑作である。

冒頭の激しいファンファーレは、そのあとすぐに、華やかなバロック音楽のアレグロ主題がそのもとであることが示される。ここでベートーヴェン自身が指定している138というメトロノーム速度は、これがバロック音楽のアレグロである裏付けであるともいえる。

でも、これはベートーヴェンの頭の中で鳴っていた音であって、実際にこの常軌を逸したテンポで演奏してみようという人はほとんどいない。ここで書きたいのはこの作品の成り立ちであって、作品の演奏法とかそのような自分にはとても手に負えないものではない。

フランツ・リストがこの作品をどのように演奏したか。サン・サーンスが自分の弟子に「ハンマークラヴィーア」を暗譜で弾けたら1等賞をあげようといって、弟子は大まじめで暗譜して本当に全部弾いたので1等賞と「プチ106」というあだ名をプレゼントした時の、その演奏はどんなだったのか。

第1楽章アレグロの後、一つ足りないリズムに蹴つまずいたら、黒い雲があたりを包み、大雨どころではなく氷の塊がどさどさ降ってくる第2楽章スケルツォ。長大な祈りの中、天界と俗世の間に境界線のないことに気づかされる第3楽章アダージョ・ソステヌート。

そうして魂がさまよう様を眺めているうちに、何者かがどさどさと押し寄せてきて、急速な追いかけあいを始めて、数えきれないほどに人の波が膨れあがって茫然自失の大団円になだれ込む、第4楽章アレグロ・リゾリュート。

「ハンマークラヴィーア」のソナタは、それを演奏するというだけでいまだに伝説になる。
この世のほとんどの人はそれを弾くことなく、それゆえに実際に聴く機会も人も少なく、その伝説は多くの人に語り継がれるものともならず、その場に居合わせた人の記憶となるのみである。

・・・・・・・

2016年12月15日(木) 20:00開演
「ハンマークラヴィーア」
ピアノ:松本和将
http://www.cafe-montage.com/prg/161215.html