モーツァルト – Episode 4

episode 4

プロイセンでフリードリヒ大王から直接J.S.バッハの作品の存在を知らされ、バッハの弟子であったキルンベルガーに師事したスヴィーテン男爵は、1777年にウィーンの帝室図書館のに就任した。いまだウィーンで聴かれることのなかったバッハの作品を、はじめてウィーンに持ち込んだのは彼である。

スヴィーテン男爵の邸宅では、毎週日曜日のお昼から数時間の勉強会が開かれ、ハイドンのほか、様々な音楽家が出入りして、バッハやヘンデルの作品を室内楽用に編曲したものを演奏していた。1782年、モーツァルトは初めてスヴィーテン邸に招かれ、そこでバロック期の巨匠の作品に触れて戦慄した。

「一つの新しい時代の到来とともに、音楽芸術は非常に盛んになったのだが、私は、すでに音楽が多くを失ったのではないかと恐れている」とエマニュエル・バッハが語り、今日に至るまで、至る所で繰り返されることになる壮大なノスタルジーがモーツァルトを襲った。

今日あるべき真剣な音楽とは。モーツァルトはバッハやヘンデルのフーガを収集し、スヴィーテン邸での勉強会のための編曲をするうち、自身でもフーガを書くようになった。「私もフーガが一番好き」と妻コンスタンツェは言ったそうである。じゃあ、一緒に演奏しよう、とモーツァルトは喜んだ。

いずれも未完成の、いわゆる「コンスタンツェ・ソナタ」はこのようにして書かれた。展開する音楽ではなく、旋律を紡いで持続させていく音楽。のちにシューマンをはじめとするロマン派の巨人が辿ることになる道への第一歩が、ここで確かに踏み出されているのだ。

1784年
モーツァルトは自分の作品の目録を自分で作り始めた。ブルク劇場の演奏会のためのピアノ協奏曲とハイドンセットというマスターピースを矢継ぎ早に書いているこの時期、後世のための音楽を書いているという意識をモーツァルト自身が持ったあらわれではないかと言われている。

ハイドンから受け継いだ、壮麗な序奏をもって開始するヴァイオリンソナタK.454。
高邁な精神と形式の壮大さにおいて、これまでの作品とは規模をまったく異にする大作の中に、言いたいことをそれと言わずに仄めかすだけの、晩年のフォーレ作品にのみ見られるような精妙な筆致がここに既に立ち現れていることの驚きを、何に例えることが出来るだろうか。

1785年
モーツァルトはニ短調のピアノ協奏曲K.466を書いた。その初演の週にウィーンにやってきた父は、久しぶりに会った息子が目の前で矢継ぎ早に書く、全く想像を超えた新たな音楽を見届けるするために、もともとは6週間であった滞在予定を大幅に伸ばしてウィーンに留まった。そしてハイドンと席を並べて、弦楽四重奏曲「不協和音」を聴いた。

無言劇
台本作家ダポンテとの出会いのあと、革命的な「フィガロの結婚」の作曲が開始されていた。人の身振りそのものが音楽になるということを、すでに自明のこととして認識していたモーツァルトは、それを言葉のない室内楽にも取り入れた。後期3大交響曲に比すべき、ヴァイオリンソナタK.481が誕生した。

episode 5につづく

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2017年6月28日(水) 20:00開演
「W.A.モーツァルト」― episode 4 – Wien 1782-85
ヴァイオリン: 上里はな子
ピアノ: 松本和将
http://www.cafe-montage.com/prg/170628.html