禁じられた林檎

音楽に新たな形を持たせること、そのことは禁じられていない。

私たちは禁じられていることを、してはいけない。
いま私たちに禁じられていることとは何か。
それは、自ら他人に必要以上に近寄らないことであり、他人同士を必要以上に近づけないことである。
ルールはもともとそこにあった。ただ、それが禁じられていることを私たちがずっと知らなかったというだけなのだ。

むかし、あるロックバンドのコンサートが、人と人をあまりに接近させ、若者たちを伝染する狂気に陥らせているといって非難されていた。
そんな非難の中でも、音楽を聴いてくれる人たちのために、ロックバンドはコンサートを続けていた。しかしある日、彼らは立ち止まった。
歌を歌っていても、叫ぶ人の声に掻き消されて、何も聞こえない。
そして、誰も自分の歌を聴いていない。
そのように言い残して、そのロックバンドは地下に消えた。

ビートルズの事だ。

誰が、あのコンサートを消してしまったのだろうか?
アーティスト自身の心の問題のせいだったのだろうか?
それとも、コンサート会場で絶叫し、飛び跳ねていた観客のせいだったのだろうか?

彼らは他人から距離をおいた。
そして、その分マイクに少しだけ近づいて、歌った。

Is there anybody going to listen to my story?

そのあとで彼らはサージェント・ペパーズを作り、林檎を掲げて音楽と録音芸術の関わりを一新してしまった。そしてThe ENDを歌った。

いま、そのことを思い出している音楽家はたくさんいるのだろう。
私たちは、そうした音楽家が将来に現代のサージェント・ペパーズを世に送り出すことに、望みをかけるべきなのかも知れない。

私たちは、過去を見なければいけない。
音楽は他人同士を必要以上に近づけてしまうという意見は、いつでも存在した。いつも音楽は禁じられて、それを伝える方法を失っていた。
だから、それを伝える方法をいつも新しく考えださなければいけなかった。

音楽は、いつまでたっても伝わらなかった。
禁じられた音楽は、その度に形を変えていった。
変わり果てた形をした音楽をみて、それが音楽であると私たちが認識するのには、とても時間がかかった。

コンサートは消えてしまった。私たちは接近しすぎていた。
姿を消してしまった彼らは、きっと地下にいる。
彼らは、歌い続けている。
それは、過去の音楽であり、形が変わってしまった音楽だ。
それを聴くために、私たちに何が出来るだろうか。

ひとつのルールを思い出そう。
・必要以上に他人同士を近づけてはいけない。

そして、もう一つのルールを思い出そう。
・自ら他人に必要以上に近寄ってはいけない。

音楽は、私たちひとりひとりのためのもので、そのための形をしている。
それは、必要があれば、必ず私たちに聴こえてくるはずだ。
こうして、私たちが静かに耳をすませているあいだにも、彼らはどこかで新しい歌を歌っているに違いない。
その音楽を聴くことは、私たちには難しいことではないはずだ。

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2020年3月21日(土) 20:00開演
「音楽の捧げもの」- J.S.Bach 3.2.1
https://www.cafe-montage.com/prg/200321bach.html