事象の地平線、時間の終り

ブラックホールの撮影に成功した、ということであった。
そこには「事象の地平線」という、極端に詩的な、ひとつの言葉が置かれていた。

27歳で戦死した詩人ミルモンの遺作による歌曲集『幻想の水平線』を思い出した。フォーレの最晩年、1921年の作品である。

船がすべて出払った港に、一人たたずむ詩人の叫び。
「私にお前たちの魂を繋ぎとめることは出来ない。
お前たちには私の知らない、はるか遠い世界が必要なのだ。」

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小説「令和」

4月1日
元号がかわる、という夢を見た。
元号は「久平」である。

気が付くとそれはもう決まっていたことで、自分は納得ずくの表情を浮かべていたに違いない。自分はさっそく、その元号が書かれた紙を片手に、久と平の両方の文字が名前に含まれている友人に祝いのメッセージを書いていた。
友人は恥ずかしそうに既読マークをそのメッセージにつけた。

平成が終わるというので いま読まないとたぶん一生読まない作品を読もうと思って、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでいた。

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カルメン、幻想と夜の歌

果たして、自分はカルメンの物語を知っていただろうか。
ロームシアターでの小澤征爾音楽塾公演の「カルメン」を観て、
これまで自分は知らなかったのだと思った。

カルメンを観たのは、初めてではない。
2000年にウィーン国立歌劇場で、ド・ビリーの指揮。
カルメンはアグネス・バルツァだった。
BS放送で見たのと同じ人がカルメンを歌っている… というだけで胸がいっぱいになり、カルメンが登場した瞬間から圧倒的な熱量を受け続けた強烈な思い出ではあるけれども、作品に関しては、カルメンのお話は知っている…、音楽も有名、とだけ思っていた。

でも今回、自分は知らなかったものを観てしまった。

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ブラックスミス、ブゾーニ

謎めいた大作として知られているブゾーニのヴァイオリンソナタは、ひとつにはバッハのコラール、そしてもうひとつにはベートーヴェンのOp.109であるホ長調のピアノソナタに範を求めているのだという。
バッハについては旋律がそのまま作品中に出てくるのけれど、ベートーヴェンについてはその「緩-急-変奏曲」の形式に倣ったとだけあって、とまどってしまう。

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シューベルト、こちらへ

Du mußt es dreimal sagen.
「おはいり」、とファウストは3度言わなければならなかった。
オペラ「ルル」原作の冒頭の長台詞においても、ヴェーデキントは「おはいりなさい」と3度、猛獣使いにいわせている。

ウェーバーの「舞踏への勧誘」でも、大変に長い3度目の「おはいり」のあと、ようやく舞踏会への入口が開かれる。

ベートーヴェンも2度目の脅しつけるような「おはいり」のあと、3度目の「おはいり」が長く、そのまま追っかけ合いの舞踏会に突入する。

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ショスタコーヴィチ、現代

「盟友のヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフの60歳の誕生日のために書き始めた協奏曲が思ったよりも早く完成してしまい、59歳の誕生日プレゼントとなってしまった。」

そこで、急遽60歳の誕生日に向けて筆を走らせて書かれたという、ショスタコーヴィチのヴァイオリンソナタについて。

時はフルシチョフ失脚後のロシア、冷戦の緊張下で世界の地図が書きかえられていく中で起きた「プラハの春」そしてロシア軍のプラハ侵攻、まさにその年に書き上げられたヴァイオリンソナタと弦楽四重奏曲第12番、そして翌年に発表され、盟友ブリテンに捧げられた交響曲第14番は、いずれも十二音技法を一つの暗示として配置している。

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ブリテン、現代

ある人からは、前衛的に過ぎる、といわれ
あるひとからは、保守的ではないか、といわれる
ドミトリ・ショスタコーヴィチとベンジャミン・ブリテンについて、何か書くことが出来ないだろうと思う中で、ある種の定義はその対象を置き換えることで、いつでも成立するものだと了解した。

バルトークは、保守的ではなかったか。
ブーレーズは、実は保守的ではなかったか。
シュトックハウゼンは、さては保守的だったのではないだろうか。
ケージは、やはり保守的であったかもしれない。

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遠い人、テレマン

遠い-人 Tele-mann
テレマンはいつも遠くにいて、でもいつも見えるところにいる。忘れられたことがない。つまり、テレマンが「忘れられた作曲家」であったことはない。いつも見えているから、発見されたことがない。

20歳のテレマンは法律学生としてライプツィヒに行く途中で、16歳のヘンデルと邂逅、ライプツィヒに着いた後は聖トーマス教会にカンタータを提供する一方、当時まだ小屋という規模であった劇場でオペラを上演し、市民や学生と共にコレギウム・ムジクムを主導、のちにバッハが受け継ぐべき基礎を作った。

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メンデルスゾーン・バルトルディ

散策し、山に登るというロマン派の象徴を舞台にした「二百十日」という短編を漱石が書いている。温泉宿にて、かみ合う必要のない会話に終始し何の事件も起こらないまま、時間が来て山に登りはじめるものの、その日がちょうど二百十日の嵐にあたっていて、結局山に登ることが出来ず、また登ろうか…そんな話。

今日はフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディの210年目の誕生日だという。
さまざまな音楽を聴く中で、人が拠り所としているものの大部分を作り上げた、この天才について、聴き手として何か言うべきことはないのか。

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21世紀ファズマ

高速鉄道に乗り、窓から外を眺めていると、近くに見えるものは次々に空を飛び去って行くように感じられ、遠景はいつまでも静かなままそこにある… ベアート・フラーは自作Phasmaについてそう述べたそうだ。

家と家の間、舗装された道路、街の形成、それらを結ぶ幹線道路、その全てはその土地の法則にそれぞれ従って、あるべきところに時間をかけて設置されたもので、増減を繰り返し、変奏を奏で続け、終わりの来るまで永遠に未完成である。それらの全てが空を飛び去って行き、遠景が永遠を物語っている…。

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