ヴェニスに死す、繰り返し

1975年、ベンジャミン・ブリテンは終わりについて考えていた。
自らの死がヨーロッパ音楽の歴史の終結を意味することは、どうしても意識されないわけがなかった。

全てが頭の中で完結され、あとは紙に書き写すだけというモーツァルトの伝説をそのままの形で再現していたブリテンの創作は、それまでに幾度も繰り返されてきたモーツァルトの再来そして死の最後の形態として、1976年、静かに終わりの時を迎えた。 “ヴェニスに死す、繰り返し” の続きを読む

事象の地平線、時間の終り

ブラックホールの撮影に成功した、ということであった。
そこには「事象の地平線」という、極端に詩的な、ひとつの言葉が置かれていた。

27歳で戦死した詩人ミルモンの遺作による歌曲集『幻想の水平線』を思い出した。フォーレの最晩年、1921年の作品である。

船がすべて出払った港に、一人たたずむ詩人の叫び。
「私にお前たちの魂を繋ぎとめることは出来ない。
お前たちには私の知らない、はるか遠い世界が必要なのだ。」

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ヴェニスに死す

いまさらながらに「ヴェニスに死す」を読んでいる。

この作品は少年愛について語っている。少年とは誰のことか、それが問題である。これをある特定の性癖の描写だとみる人は、もしかしてギリシャの少年愛についても同じように考えたりするのだろうか。別に…それでもいい。

Boy with Thorn
「とげを抜く少年」の横顔を持つ少年をひたすらに追いかける作曲家、アッシェバッハのモデルは、その小説が書かれた年、トーマス・マンがヴェニスに向かって旅する、その出発の直前に死んだ親友グスタフ・マーラーであるとされている。 “ヴェニスに死す” の続きを読む