「ドレミと夜空 」

2026年4月25日(土) 20:00開演

アイコン湖〉


いしいしんじ

こえ

ありとみみく

ピアノ




入場料金:3000円



【予約満席】キャンセル待ち受付




〔会場〕
カフェ・モンタージュ ≫ 地図
京都市中京区五丁目239-1(柳馬場通夷川東入ル)
TEL:075-744-1070


アイコン湖〉の初舞台によせて


あるとき、お寺の住職さんがこんな話をしてくれました。
「毎日、素粒子から生まれ変わっているんだよ」と。

目の前に映っている世界の生きものは、素粒子の塊で、そのひとつずつの粒子がふるえたり、くっついたり、はなれたり、塊がただ漂いながら、そこに存在している。

どこにつながっているのかな。
出口はあるのか。
いま、どこにいるんだろう。

答えがないもの、わからないものを見つめ、つかんだりしてみる時間になれば嬉しいです。


― ありとみみく


・・・・・


おさないころから、宮沢賢治の書いたものを読むと、真っ暗な空間によるべなく放りだされたような気分になった。「いい話」とも「自然との調和」とも思えなかった。ただただ「へんだ」と感じた。
 
音楽にたとえてみれば、かれの書いたものがたりは、意味深にみえてじつは、ジョコーソ「楽しげに」といった発想記号、クレシェンド「だんだん強く」といった強弱記号、つまり演奏のありようを指示する、記号にすぎないのでは。
あの独特なことばの束は、かれがとらえていた世界、宇宙のすがたを表示する、サインそのものではないのだろうか。

ありとみみくさんは、「宮沢賢治はどうか」という話がはじめてでたとき、間髪いれず、
「だって、宮沢賢治って、へんだよね!」
といいきり、あ、だいじょうぶだ、とぼくは思った。

なにが生じ、なにが消え去るか、注意深く耳をすます。

 「わたくしという現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い証明です」
 
(宮沢賢治『春と修羅』)


― いしいしんじ

みえない、みえるはずがない

さて、なにをするのか。
コンサートではなく、お芝居でもなく、おそらく、宮沢賢治についての何かでもない。
言葉と音楽をとおして私たちが体験しているものの正体を見たものはいない。いや、あるいは、それしか見ていないのか。
星をみているようで、空をみている、その目にうつるものをこの夜はきこうというつもりで、どうかお越しください。


― 高田伸也 カフェ・モンタージュ