と思うから書くのだが、第4番と第5番のチェロソナタを書く前の2年ほどの間、ベートーヴェンはほとんど作曲をせず、いわゆる空白期というものがあるという有名な話がある。
その空白期になにがあったかといえば、結局ベートーヴェンは作曲以外のことで忙しかったというのが今の通説なのだが、以前にはその2年間はスランプ期といわれていた。
ベートーヴェンほどの天才にもスランプはあって、それを乗り越えて深みのある後期のスタイルへと踏み込んだのだ、というわけで、その説は有効だという意見もまだ根強いようだが、ここではその議論は置いておきたい。
問題は、その空白期の前後でベートーヴェンの作風になにか変化があったのかどうか、ということではないだろうか。確かに、第4番は空白期前のヴァイオリンソナタ第10番と共通した雰囲気があり、第5番の最終楽章はそれも空白期前に作曲された大公トリオのスケルツォの動機と似通っている。
そこに2曲のチェロソナタのすぐ後に書かれたといわれるピアノソナタ第28番を置くと、事はさらに複雑になる。でも、同じ人物が書いた作品を、空白期の前後ではっきり分けようなどと思わなくて良いのではないか。まずは作品そのものと向き合うほうが、楽しく聴けるのではないか。そもそもは特に19世紀後半の市民社会にウィーン古典の音楽を浸透させるにあたって、ベートーヴェンの音楽が「初期」「中期」「後期」と便宜的に腑分けされ、それぞれの代表的な作品ばかりが演奏されるという状況が20世紀になっても長く続いたのが、2026年にもなってもそのままでいようということ自体に無理があるのではないか。
確かに人には年齢というものがあり、作風もそれに準じるということはあるだろう。そこで、人の集合である社会にも年齢はあるとすれば、10代にむりやり覚えたことを40代になっても頑なに守り続けるようなことばかりでは面白くない気がするのである。
何年たっても事実は事実だという、その事実は結局誰が教えてくれたものなのか。色々と考える時期には来た。答えがない問いに、向かい合う年に。
さて、昨年まで2年連続でブラームスプログラムでの「3大ソナタ」でしたが、今年はいよいよベートーヴェン!
交響曲「運命」と「田園」と時を同じくして作曲された第3番、そして後期ベートーヴェンへの扉を開いた第4番と第5番のソナタをお聴きいただきます。
― 高田伸也 カフェ・モンタージュ