「モンタージュの時代」

2026年8月3日(月) 19:30開演

山田剛史

ピアノ




入場料金:4000円




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〔会場〕
カフェ・モンタージュ ≫ 地図
京都市中京区五丁目239-1(柳馬場通夷川東入ル)
TEL:075-744-1070


【プログラム】


M.ラヴェル:
組曲《クープランの墓》 (1917)
Prélude
Fugue
Forlane
Rigaudon
Menuet
Toccata

P.ヒンデミット: 組曲「1922年」 op.26 (1922)
Marsch
Shimmy
Nachtstück
Boston
Ragtime

I.ストラヴィンスキー:
イ調のセレナーデ (1925)
Hymne
Romanza
Rondoletto
Cadenza finala

A.シェーンベルク: ピアノのための組曲 op.25 (1923)
Präludium
Gavotte
Musette
Intermezzo
Menuett
Gigue


新たな組立ての時代

一度聴いたら忘れられない、なぜこの作品が広く知られていないのだろう?と思うものの一つがストラヴィンスキーの「イ調のセレナーデ」です。
そもそも、ピアノの為に書かれた「セレナーデ」という題名の作品はたくさんあるはずなのに、そのなかに有名なものは本当にひとつもありませんでした。有名なものはすべて歌曲や弦楽器のための作品からの編曲だけなのです。
ピアノのための「セレナーデ」は呪われているのか?題名が?ならば、ストラヴィンスキーがそれを知らなかったはずはない。

一度聴いたら忘れられない、なぜこの作品が広く演奏されないのだろう?と思うものの一つがシェーンベルクの「ピアノのための組曲」です。
この作品ではじめて全面的に"十二音技法"が用いられることになりました。この技法で何が崩壊したのか?それは和声ではなく、リズムもしくはビートだと思っています。
舞曲を示唆する譜面からは想像できない、複雑極まるリズムの連続。一定のビートらしきものが一瞬現れても、すぐに別の形になってしまい、ビートに合わせて振りたい首の行き場がどこにもない…。
なるほど、このような音楽を、隣にいる人と同じように首や腕を振って聴くことは難しい。和声が複雑でも、ビートがある程度の連続性を持って一定であれば、そこにはある程度の一体感が生まれるだろうと想像してみると、シェーンベルクはその一体感をわざわざ回避しているように見える。
なぜ人は人と容易に一体感を持ってはいけないのかと考えながら聴くと、平らな方がいいに決まっている車道が、ときどき意図的にそうではなくなっていることを思い出す。これは音楽による都市設計なのか。

第一次大戦によって、何が失われ、何が獲得されたのか。戦争によって何かを得るなどという思想は確かにろくでもない。でも獲得というのは「得をした」という事ばかりではなく、喪失と獲得は感受性を開いている限りはいつも両義的にそこにあるものだから、過去のこととして考えて見るくらいのことは許してほしい。
大きな破壊行為のあと、ものを作るという概念が巨大化した20世紀。
何かを得ようとして、失ったもの。何かを失ったことによって、獲得したもの。その狭間の時代に生まれたこれらの音楽が、なんといっても聴いて楽しいということが少しでも多く伝わるような素敵な一夜になればと思います。皆様、どうか聴きにいらしてください!


― 高田伸也(カフェ・モンタージュ)