時計の針をすすめた炎の話:序

作曲家セザール・フランクがどこからやってきたのか。
長い音楽活動の中で、最晩年になってようやく評価されたといわれるこの作曲家の登場までの道のりを探ろうとするのであれば、クラシック音楽史とされるものの流れを根底からひっくり返す覚悟が必要だ。

まずはじめに定義しておかないといけないのは、音楽には音楽が「作られた歴史」と音楽が「聴かれてきた歴史」という二つの歴史があるということだ。

歴史といえばよく知られている、バロック – 古典 – ロマン派 – 後期ロマン派 – 近代 – その後… という流れは「聴かれてきた歴史」の方だ。それぞれの文脈の中でいわゆる「本物」を見つけようとしているのは、この歴史の文脈の中でなされていることであって、つまり「聴かれてきた歴史」というのは、音楽作品のあるべき位置、捉えやすい位置、共有する術を音楽の「聴き手」が定めてきた歴史なのだ。
比較的新しい「古楽」も実のところはそのほとんどが「聴かれてきた歴史」の文脈の上で成立している。

それでは、音楽が「作られた歴史」というのは何かといえば、それは音楽作品の優劣や、演奏の方法による優劣、はたまたその演奏が「本物かどうか」というところには関係がない。例えば、ワーグナーのワルキューレ第1幕が「作られた歴史」を語ろうとすれば、私たちはじっとワーグナーの傍にいるわけにはいかず、まずベートーヴェンの元を訪問したり、シューベルトが書きかけて途中でやめた作品に手を延ばしたり、ショパンの指先を追いかけたりすることになる。それはなぜか。

文学の話であれば分かりやすいかも知れない。
母国語であれば、大抵の小説を読むことが出来るという人は、それほど少なくない。ある日、自分も小説を書いてみようと思ったとすれば…と想像してみよう。実際に書き始めてみてもいい。その瞬間に「読まれた歴史」の全てが自分の手の中に流れ込んできて、自分の手によって「作られた歴史」に変貌することになる。なぜ自分はこのような人物を登場させようと思ったのか、この人物はなぜ男ではなく女なのか。場合によっては、話の途中で実は男だったということにしてもいい。でも、なぜそうしたいのか。
ある境遇の人間を小説中に生み出し、生きて会話をさせるのに、書き手である自分に必要なものは何だろうと考えて振り返ると、そこにはワーグナーがいてなにやら台本を書いている。ワーグナーはどのようにジークリンデを登場させたのか、彼女に何を語らせようとしたのか。そうしたことの一切が「作られた歴史」の中には渦巻いている。

まだ分かりにくいかも知れない。やはり音楽の話をしよう。

まずドイツのボンという街にアントン・ライヒャという人が生まれた。
この人はベートーヴェンより5歳年上で、ベートーヴェンと同じくネーフェという先生のもとで音楽を勉強していた。
ネーフェはベートーヴェンにバッハの平均律を教えたことで不滅になりながら、作曲家ライヒャを生み出したというもうひとつ不滅の仕事を果たしたのだが、ネーフェが灯した二つの炎は果たして長く燃え続けた。
ベートーヴェンが燃え続けたことは「聴かれてきた歴史」の中でも詳しく語られている。
一方、ライヒャは「作られた歴史」の方で燃え続けて、その炎はいまだに直接に温度を感じるには遠いところに位置している。
ライヒャはベートーヴェンに幾何学模様の後期をもたらし、フランツ・リストそしてセザール・フランクに時計の針を握らせて、1836年に死んだ。
ライヒャの残したフーガ作品は、「聴かれてきた歴史」においてバッハが起源だと囁かれる多くの作品を20世紀にいたるまで生成しつづけた。

「聴かれてきた歴史」と「作られた歴史」は交わることなく、ネーフェの二つの不滅の炎とともに、時間はゆっくりと右に旋回していった。
果たして、「書かれた歴史」が突然に多くの人の耳に触れるときがやってきた。それがセザール・フランクの晩年に起こったことである。

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2021年11月19日(金) 20:00開演
「C.フランク」
ピアノ:上野真

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