ドヴォルザーク 大作曲家の道

ドヴォルザークは自分でそのように意識していたのかどうか、大作曲家として大成するとしか思えない道を歩んだ。

父はツィターの名手であり、叔父はトランペットの名手だったという、かの大バッハの出生を髣髴とさせる環境にドヴォルザークは生まれた。

そして、初めて手にした楽器がヴァイオリンであり、そのあとヴィオラも弾いたという事も、かの大バッハを髣髴とさせる、

リーマンという教会音楽の作曲もし、教会のオルガンも弾く教師からドイツ語を学ぶうちに、オルガンの奏法のみならず、和声学も学ぶことでカントルの伝統をなぞったことも、 “ドヴォルザーク 大作曲家の道” の続きを読む

マルティヌーのことを知らない

大作曲家マルティヌーの、その作品以外のことをほとんど知らない。
1923年から1940年までずっとパリにいたはずなのに、その初期に恩師アルベール・ルーセルから「私の栄光」と最大限に讃えられながら、彼はずっと作曲をしていたというが、しかし、その他のことがわからない。
ドビュッシーがいない、けれども最晩年のフォーレも、ラヴェルも、ストラヴィンスキーも、六人組もいたのに、彼は作曲以外に何をしていたのだろう?

パリに着いた1923年、マルティヌーはすぐにサッカーの大ファンになった。 “マルティヌーのことを知らない” の続きを読む

コダーイのセレナーデ

コダーイの人生について、語ることは簡単ではなさそうだ。

まず、コダーイの人生は彼一人のものではない。
コダーイについて語る時には、常に母国ハンガリーの歴史を引っ張って来てコダーイと一緒に歩かせなくてはいけないのだ。 … 目の前が真っ暗になる。

1900年、コダーイはリスト音楽院に入ると同時にブダペスト大学にも入学してそこで現代語を学んだ。
果たして、現代語とはなんであろうか…。
目の前が真っ暗になる。

ブダペスト大学にてコダーイは後に西欧マルクス主義の泰斗となるジェルジ・ルカーチ、 “コダーイのセレナーデ” の続きを読む

交響曲「ザ・グレート」

1839年の3月21日に交響曲「ザ・グレート」はフェリックス・メンデルスゾーン指揮のゲヴァントハウス管弦楽団によって初演された。
パート譜はシューマンが前年にウィーンから送り付けてきたシューベルトのページの順番が不揃いなままの自筆譜から、ただでさえ多忙のメンデルスゾーンが暗号を解くように並べて書き起こした。

シューマンはメンデルスゾーンとは別に出版社ブライトコプフにあてて、 “交響曲「ザ・グレート」” の続きを読む

メルセデス・アンサンブル 発足!

カフェ・モンタージュのシリーズ『シューマンを待ちながら』は「第一期」と設定していたピアノ三重奏曲、ピアノ四重奏曲、ピアノ五重奏曲の3公演を終え、これから始まる「第二期」ではシューマンのデュオから弦楽四重奏まで、シューマン周辺の作曲家の作品を交えたプログラムを予定しています。そこでこちらからひとつの提案を致しました。

「アンサンブルの名前をつけませんか?」 “メルセデス・アンサンブル 発足!” の続きを読む