レクイエム

街中に たばこ というものがあったことを覚えている。

常習性があり、喫煙する人以外の誰のためにもならないのではないか、なんとなれば害でしかないかも知れないと、誰もがなんとなく思いながら、ずっと街中には たばこ があった。

世の中が急に変化した。
たばこ の害が認定された。喫煙者の自己責任という言葉で守ることの出来る範囲を、あっという間に超えてしまった。
あまりに急なことで たばこ は逃げる事さえできなかった。

たばこ を殺したのが誰だったのか、もう思い出せない。

たばこ が人類を殺すのだと、あれほどの大声で叫んでいた人の顔を 私は思い出せない。あれは自分の顔に似ていたけれど、鏡をみて確認をすることはなかった。私は、自分の声をその大声に、そっとユニゾンさせた。

そうやって、自分は たばこ を殺してきた。なんとなれば、昨日も殺したかもしれない。

そうして、同じ理論でいま 舞台 が殺されているのを私は見ている。

私も 舞台 をいくつかこの手で殺した。

たばこ が死ぬとき、なぜ たばこ は声をあげないのだろうと、私は不思議に思っていた。世界は、君のものではなかったのか。

そして 舞台 も、死ぬときには声をあげないのだということを、今回初めて知った。

舞台 を殺すのが悪いのであれば、たばこ を殺したことも悪かったということでなければ、理屈があわない。だから 舞台 を殺すことは悪くない。

たばこ が急激に、大量に殺されて街中からいなくなっていく、その静かな風景を、自分はただ見ていた。

私はカフェをしている。役所から、店にこれを貼って下さいというシールが何度か届いた。それには「ここには たばこ の居場所はありません」という意味の言葉が書いてあった。
このシールを貼ることによって、自分はどこのだれか知らないたくさんの人と意思を共有する友であり、人類の安全をまもる同士なのだ。

…ろうか? そう思って、自分はシールをカフェに貼らなかった。
自分の手は汚したくない、という利己的な気持ちもあった。でも、自分は知っているのだという気持ちもあった。あれだけ たばこ は殺されたけれども、まだこの世に少し生き残っていることを、自分は知っているのだ。空気洗浄フィルター付きの、強力換気扇がまわる、あの透明の小さな部屋の中で たばこ の生き残りが静かに息をしていることを、自分は知っている。彼らは なにか悪いことをして あそこに閉じ込められたに違いない。そう思わないと、あそこに入っている人を 正視できない。

いまに、「ここには 舞台 がありません。」というシールがカフェに届くだろうか。

それはかつて たばこ を殺し、わが身を守り、人類を救ったシールだ。

透明の 空気洗浄フィルター付きの 換気のいい小さな箱に 舞台 を閉じ込めよう。

彼らはたぶん なにか悪いことをして あそこに閉じ込められたに違いない。
そう思わないと、自分はいま 舞台 がそこにあることを正視できない。

舞台 を殺すことが許されないのなら たばこ を殺したことも、許されなかったことではないのだろうか。

…と、自分は思わずにはいられない。

自分はいま、誰もいなくなった路上で、空に向かって煙をくゆらせる たばこ の生き残りに希望を見出している。なんということだろう。こんなことになるまで、自分はそのことに気が付かなかったのだ。

舞台 よ

少しだけ我慢すればいい。君は声を出さないね。おやすみ。

 

・・・・・

 

2020年3月29日(日) 20:00開演
「フルート四重奏」
https://www.cafe-montage.com/prg/200329.html