散策し、山に登るというロマン派の象徴を舞台にした「二百十日」という短編を漱石が書いている。温泉宿にて、かみ合う必要のない会話に終始し何の事件も起こらないまま、時間が来て山に登りはじめるものの、その日がちょうど二百十日の嵐にあたっていて、結局山に登ることが出来ず、また登ろうか…そんな話。
今日はフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディの210年目の誕生日だという。
さまざまな音楽を聴く中で、人が拠り所としているものの大部分を作り上げた、この天才について、聴き手として何か言うべきことはないのか。
メンデルスゾーンについて ひとことも書くことが出来ない。
先月に初の邦訳が出版されて、話題沸騰中の小説「凍」の著者、一世代若いイェリネクとともに戦後オーストリアを代表する文豪トーマス・ベルンハルトに、Beton-コンクリートという作品がある。
Beton
主人公はこの10年の間、ありとあらゆる図書館、あり得ない図書館にまで通い詰めてメンデルスゾーンについて調べ上げ、しかるべき時に著されるべきで、自分の中ではすでに義務の一つとなってしまったメンデルスゾーン本に取り組んでいるものの、それについて一言たりとも書くことが出来ない。
Schwester
突然に姉が現れる。
メンデルスゾーンについての、著されるべき着想が頭に浮かび、まとめられ、まさに書こうとしたその時に、主人公の姉が姿を現して、すべてを台無しにしてしまう。
Zunichte
この10年の間、メンデルスゾーンについて筆が走り出そうとしたその時に、姉が部屋をノックしたり、姉が出発したり、姉が玄関の前に立ったり、姉が大事な資料を気付かずに踏みつけたり、単に姉が頭に思い浮かんだりするたびに、描かれるべきメンデルスゾーンの肖像は消え去ってしまう。
Das Reizwort
その名前を口にするだけで、姉と弟の間には電流が走った。
「モーツァルトとベートーヴェンがいるのに、どうしたら”メンデルスゾーン”を好きになったり出来るのかしら」と姉はその名前を口にする。「そうね、この”メンデルスゾーン”とやらが、ユダヤ人だから?」
まさか… ユダヤ人だから、ということが原因で、メンデルスゾーンについて私たちが何も知らないのだったら、つまり私は”メンデルスゾーン”以外のことも何も知らないことになるではないか。そもそもどうすれば、”メンデルスゾーン”を知らずに、何かを知るということが出来るのだろうか。
そもそもユダヤ人とはなんだろう、というところで、筆が止まってしまうということが本当であれば、なるほど私は何も書くことは出来ない。そして、誰もメンデルスゾーンについて”何も書くことができない”ということだけを理解して、何かを知るということをどこかに投げやってしまう。
メンデルスゾーンのかわりに、フェリックス・バルトルディという作曲家のみが存在した可能性があった、ということが知られている。名がメンデルスゾーンであればユダヤ人で、バルトルディであればキリスト教徒のドイツ人である、ということが知られている。もうすぐ姉が通りがかる。
名前がバルトルディでは、フェリックスの当時の立場はまるで違うものとなり、シューマンやショパン達との衝撃的な出会いも失われ、ワーグナーも誕生せず、21世紀の今が、今ある形を成さなくなる。メンデルスゾーンというのは、それほどのReizwortであり、それ無くしては何を語ることも不可能である。
しかし、メンデルスゾーンについて、一言も語られることなく地球はまわり、人間は生活している。姉が通りがかるということだけが真実であり、それ以上に何も知る必要はない。
いま、メンデルスゾーンについて語ろうとするとき、現実の図書館ではまず不十分な部分を求めて、架空の図書館に押しかけることは必ずしも必要ではない。新たな批評のフィールドを打ち立てること、以前には専門家が存在したはずのその分野は、いまや聴き手の仕事として与えられている。
新たなフィールドとはどのようなものか。それはメンデルスゾーンをシューマンやショパンではなく、フランツ・シューベルトの同時代人として観察することを徹底する、そのようなことである。例えば1826年、ベートーヴェンが最後の弦楽四重奏曲を書いている時の二人を観察してみる。
29歳のシューベルトが1826年に発表したピアノソナタのメヌエット
17歳のメンデルスゾーンが1826年に発表したピアノソナタのメヌエット
29歳のシューベルトが1826年に発表したピアノソナタのアンダンテ
17歳のメンデルスゾーンが1826年に発表したピアノソナタのアダージョ
メンデルスゾーンとシューベルトは、いずれも同じ時代に、ベートーヴェンを頼りにしてモーツァルトに接近しようとしていた。それはワーグナーとブルックナーがシューベルトに接近するのにメンデルスゾーンを頼ったことと同じで、ドビュッシーがメンデルスゾーンを否定するのにワーグナーとリストを頼ったことにも通じる。
このことは、聴き手がシューベルトを聴くためにワーグナーやブルックナーを必要とすること、そしてモーツァルトとベートーヴェンを聴くためにかつてメンデルスゾーンを必要としたことを意識しておくのと同様に重要であって、そこではじめて21世紀の批評が視野に入ってくるのである。
ドビュッシーはワーグナーを否定しなかったが、メンデルスゾーンのことは完全に否定した。ドビュッシーの弦楽四重奏曲は、1890年代当時においてワーグナーを克服してもメンデルスゾーンから逃れることがどれほど困難であったかを物語る壮絶なドキュメントである。
フランク、グノーやサン・サーンスのみならず、ワーグナーからブラームスまで、メンデルスゾーンなしに語ることのできる音楽は、当時のパリ音楽院と国民音楽協会には存在しなかった。ドビュッシーがメンデルスゾーンから逃れるために払った労力の甚大さそのものが、20世紀を形作ったといっても過言ではない。
いずれ書かれるべきメンデルスゾーンの著作は決して音楽的ではなく、その合間合間が音楽的な、文学的なものである、と小説Betonの主人公は言っていた。メンデルスゾーンが生まれて210年目の今日、京都の天気は雨。
今夜、山に登るときが来るようだ。
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2019年2月3日(日) 20:00開演
「F.メンデルスゾーン」 – 生誕210年
ヴァイオリン: 白井篤
ピアノ: 鈴木華重子
http://www.cafe-montage.com/prg/190203.html