メンデルスゾーン、三角、四角の関係

フェリックス・メンデルスゾーンの姉、ファニーの夫となったヴィルヘルム・ヘンゼルには妹がいた。その名はルイーゼ・ヘンゼル。ロマン派の重要な証人となったベッティーナ・ブレンターノの兄、クレメンス・ブレンターノはルイーゼに強烈な片思いをした挙句、敗北した。

フェリックスのピアノの先生、ルードヴィヒ・ベルガーもルイーゼに生涯癒えることのない片思いの恋をした。ある日、友人であるルイーゼの兄がベルガーの元に、最近妹に燃えるような恋心をもって、やはり敗れた別の男、詩人ヴィルヘルム・ミュラーが書いた「美しき水車屋の娘」という詩を持ってきた。衝撃を受けたベルガーは即座に10の歌曲を書いた。

Luise Hensel – “水車屋の娘”のモデル?

まだ10歳に満たないフェリックスの頭越しに吹きすさんでいたロマン派の台風の中心、ルイーゼ・ヘンゼルは信仰と詩作の道に深く分け入り、生涯を独身で通した。

詩人としての彼女の代表作「疲れた」- Müde bin ichは、この世に疲れて床に付き、神による癒しを求めて、以下のように終わる。


“涙に濡れた眼を閉じよう。
月は空に残したままの、静かな空を仰ぎ見るのだ…”


1821年、フェリックス・メンデルスゾーンがベルリンの音楽監督ツェルターに連れられて初めてゲーテに会ったその年、ルイーゼの兄、当時27才にしてすでに宮廷画家というエリート街道の中心を歩んでいたヴィルヘルム・ヘンゼルが初めてメンデルスゾーン家のサロンを訪れた。
翌年、ヴィルヘルム・ヘンゼルは妹ルイーゼに恋をした詩人が書いた詩を、メンデルスゾーン家の長女ファニーにプレゼントした。ファニーはすぐにその詩集「美しき水車屋の娘」から6つの詩を選んで作曲した。

1825年、フェリックス・メンデルスゾーンは新しく作曲したピアノ四重奏曲を行く先々で当地の一流の弦楽器奏者と演奏して、人々を容赦ない脅威で追い立てていた。フェリックスの祖母レアは、この作品をゲーテに捧げるべきだと思い、自らその伺いをゲーテにたてて了承を得た。

6月16日、ゲーテの元に2つの小包が届いた。

ゲーテはまず一つ目の小包を開けた。そこにはレア・メンデルスゾーンからの手紙と、自分つまりゲーテへの献呈とされた、フェリックス・メンデルスゾーンのピアノ四重奏曲の初版本が入っていた。ゲーテは驚嘆し、すぐに礼状をしたためた。

もう一つの小包をあけると、そこには”ウィーンのフランツ・シューベルトより”という手紙と、3つの自分つまりゲーテの詩による歌曲「御者クロノス」「ミニヨンに」「
ガニュメート」が印刷された楽譜が入っていた。

これまで長く、ゲーテは音楽においてはロマン派を理解しなかったといわれることがあった。しかし、それはベルリンの音楽監督ツェルターが彼の傍にいたことの意味、そして彼が先にメンデルスゾーンを受け入れていたということの意味、つまり1825年にフェリックス・メンデルスゾーンが作曲した恐るべきピアノ四重奏曲を抜きに理解することは出来ないし、それがまだシューベルト晩年の室内楽以前に為されていたことを考えると、この時代に吹き荒れていた嵐の正体を、自分はまだ見たことが無いのではないかとさえ思うのである。

フェリックス・メンデルスゾーンは常に嵐のような早さで手足を動かし続け、1847年11月4日に38歳の若さで死んだ。

「疲れた」- Ich bin müde

それが彼の最後の言葉であった。

空を見上げることが出来るだろうか。まだ月がそこにある間に。

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19年11月7日(木)&8日(金)
「ピアノ四重奏」
– F.メンデルスゾーン 生誕210年 –

ヴァイオリン: 瀬﨑明日香
ヴィオラ: 小峰航一
チェロ: 上森祥平
ピアノ: 岸本雅美
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