言葉を乗り越えて、詩の世界へと

シューマンの第3番を聴くことは、本当に難しい。
この作品の中には、音楽の歴史上最大の難関であるベートーヴェンの第14番が巧妙に組み込まれているのだから。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲 第14番 op.131
その第4楽章に置かれたイ長調の変奏曲がもたらす静かな混乱は、 “言葉を乗り越えて、詩の世界へと” の続きを読む

交響曲「ザ・グレート」

1839年の3月21日に交響曲「ザ・グレート」はフェリックス・メンデルスゾーン指揮のゲヴァントハウス管弦楽団によって初演された。
パート譜はシューマンが前年にウィーンから送り付けてきたシューベルトのページの順番が不揃いなままの自筆譜から、ただでさえ多忙のメンデルスゾーンが暗号を解くように並べて書き起こした。

シューマンはメンデルスゾーンとは別に出版社ブライトコプフにあてて、 “交響曲「ザ・グレート」” の続きを読む

メルセデス・アンサンブル 発足!

カフェ・モンタージュのシリーズ『シューマンを待ちながら』は「第一期」と設定していたピアノ三重奏曲、ピアノ四重奏曲、ピアノ五重奏曲の3公演を終え、これから始まる「第二期」ではシューマンのデュオから弦楽四重奏まで、シューマン周辺の作曲家の作品を交えたプログラムを予定しています。そこでこちらからひとつの提案を致しました。

「アンサンブルの名前をつけませんか?」 “メルセデス・アンサンブル 発足!” の続きを読む

「楽譜のこと」 シューマン:ピアノ四重奏曲 ハ短調


「シューマンの知られざるピアノ四重奏曲」

といって、どのような規模のものを想像するだろうか。自分は、例えばマーラーの四重奏断章のように、長くても20分くらいのものではないかと思っていた。そんな情報をどこかで見たような気もしていた。でも、楽譜が出版されているということを知って、調べてみるとなんと30分はかかりそうな規模の作品であることがわかった。そのような大規模な室内楽作品が、初期の、人によってはシューマン芸術の電圧が最も高かったとさえ表現するほどの、重要な時期に書かれていたというのである。

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裏返されたハ短調 – PARTⅡ

「彼女のために存在するのは、私だけでいい」

そのように歌う歌曲『秋に』を、シューマンは18歳の時に作曲しながら発表せず、のちにその旋律をピアノソナタ 第2番の緩徐楽章に写し取った。

1829年、19歳のシューマンは全4楽章からなるハ短調のピアノ四重奏曲を書いていた。その作品はほぼ完成したところで放置され、シューマンはのちに作曲家としてのデビュー作として、同じ1829年に書いたピアノ曲「アベッグ変奏曲」を作品1として出版した。 “裏返されたハ短調 – PARTⅡ” の続きを読む

「シューマンを待ちながら」 第一章

サミュエル・ベケットはある小説を書こうとしていた。

それは、表現の「対象」も「手段」も「欲求」もなく、「表現の義務」のみが存在する小説。

登場人物は、そこで発生する何かを体現する。もしくはそこで何かを発生させる。もしくは、何かを叶えたいと願っている。

生きている人間は、そこで発生する何かのために、いつもそこにいるわけではない。そこで何かを発生させるためにいるのでもない。何かを叶えたいと強く願っているわけでもない。人間は存在し、何のためとは自ら知らずとも、そこにいる。

芸術がリアリズムを超え、その芸術を現実が超えてしまった戦後、「ゴドーを待ちながら」は書かれた。

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「全ては終わった」

 

念仏は音楽か。
私はまだ音楽を聴くように、念仏の楽しみを味わったことがない。
でも、ある時まで自分の耳には念仏のように響いていた作品を、いつの間にか音楽として味わうようになったという経験はある。

例えば、ベートーヴェンの後期作品のいくつかは、それを聴けば一段階違う自分になれるとか何とかいう触れ込みで聴いてみたものの、そこに何か意味を見出し、その意味の中において自分は感銘を受けなければいけないのだと言い聞かせ、耳が受けている信号をなんとか解読しようと努力をした5分後にはひどい頭痛と眠気に襲われた。 “「全ては終わった」” の続きを読む

3つの、2つの、バースデープレゼント

ルイジ・ケルビーニというのはベートーヴェンより10歳年上のイタリアの作曲家。この9月14日に生誕260年を迎えるが、そのことはおそらく誰も話題にしていない。

ケルビーニは1816年、つまりベートーヴェンの後期といわれる時期がようやく始まった頃に「レクイエム」を書き、それは当代随一の傑作として高く評価された。1822年、パリ音楽院の学長になったケルビーニが翌年に新入生として入学してきたベルリオーズを叱り飛ばした話が、ベルリオーズの自伝に面白おかしく描かれている。

ロッシーニの登場によって作曲家としてはもう過去の人になっていたケルビーニではあったが、1836年になって急に6曲の弦楽四重奏曲を出版して、人々を驚かせた。その驚いた人々の中には、いつもながら早耳のフェリックス・メンデルスゾーンがいて、彼はすぐにそれらをロベルト・シューマンに見せて、 “3つの、2つの、バースデープレゼント” の続きを読む

内なる声

内面という概念について、ヘーゲルが書いている。
とうとうヘーゲルが出てきたぞ、と思って、自分も身構えている。
ヘーゲルの名を世に知らしめた『精神現象学』(1807) については、誰でもとにかく手に取るくらいの事は出来るというほか自分は説明が出来ない。今からそれを、なんと読んでみようというのだ。

ヘーゲルを読むというのは、矛盾した行いである。しかもそれが『精神現象学』のような、 “内なる声” の続きを読む