シューベルトを完成させる

すでに重要な歌曲を書いていたシューベルトが、満を持してはじめてのピアノソナタを書き始めたのは1815年の事、それはベートーヴェンが長い沈黙を破ってop.101とop.102のソナタを書き始めたのと同じ年であった。

二人の天才が生活していたウィーンという狭い街に、1815年、どのような色彩そして香りが振り撒かれたというのだろう。ある時代のはじまり、それはまさにウィーン会議の年であって、ヨーロッパ各国の重要人物がウィーンに齎した何かが、彼ら二人をしてソナタを書けと促したのだったのだろうか。

1884年にはじまったブライトコップフ社による初めてのシューベルト全集について、ブラームスは重要な助言をブライトコップフに与えながらも、その出版方針については不満があった。

1860年代にウィーンに移り住んだブラームスにとって、そこで初めて見ることのできたシューベルトの音符は、たとえそれが断片的なものであっても、大変に有益なもので見るもの全てを筆写するというのが彼の日課の一つとなっていた。

しかし、初めてのシューベルト全集においては、まず初めに完成された作品だけを出版するべきだというのがブラームスの主張であった。作曲家というのは、自信のある作品だけしか人に見られたくないものだから、というのがその理由であった。

しかし、ブライトコップフは未完成の作曲家としてのシューベルトにこだわった。

「全ドイツ文学を音楽にうつしてしまった」とかつてロベルト・シューマンが語ったシューベルト像は、ブライトコップフが集めた膨大な未完成譜の巨大な遠景の遥か彼方で、ぼんやりと手を振っていた。

嘗ては、誰と話さずとも、夜空の星と木を相手に話せばそこにシューベルトを呼び寄せることが出来た。そんなシューマンの前に、新たに発見された交響曲とピアノソナタが現れた時、シューマンのうろたえようは大変なものであった。しかし、それによってシューベルト像が曖昧になるという事がないように、メンデルスゾーンの力も借りて、シューマンは時間をかけて全てを受け入れた。

ブライトコップフが出版を始めたシューベルト全集を前に、人はうろたえることさえできず、その巨大な遠景の中に溶け込んでぼんやりしている人がシューベルトなのだといって、それ以上のことを語ることをあきらめてしまった。

1815年、シューベルトが踏み出した偉大な一歩を、未完成の遠景の中から救い出そうとする人が当時いたかどうかはわからない。でも、その姿を見たいと思う人の数だけ、シューベルトはあの夕焼けの中から、段々に姿を現し始めているのだ。

『1815年のベートーヴェン』と名付けられた小さな惑星があるらしいけれど、その横にシューベルトが光を放っていないだろうか。
夜の星に語り掛ける、ロベルト・シューマンの影を、彼らは映していないだろうか。

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20年2月20日(木) 20:00開演
「はじめてのソナタ」― シューベルト ピアノ作品全曲シリーズvol.17
ピアノ: 佐藤卓史
https://www.cafe-montage.com/prg/200220.html