アイヴズの、教え給いし歌

あの子供の頃の景色、お気に入りの思い出を描いてみせることは、心にとってどれほど愛しいことだろう! - “The Old Oaken Bucket”

20世紀の作曲家たちが、それぞれの国から消えゆく運命にあった旋律を手にモダニズムの扉を叩いたのは、おそらく偶然ではない。子供の頃の風景を思い出して、描いて人に見せることがどうすれば出来るだろうかと彼らは問うた。

歌を口ずさめばいいのだと、20世紀の困難な時代において、彼らは言った。
まずチャールズ・アイヴズが歌い出した。

「夜がやってくる。それまでに仕事を終わらせよう」


チャールズ・アイヴズは1874年生まれ、つまりアルノルト・シェーンベルクと同じ年、その2年後にトウェインの小説「トム・ソーヤーの冒険」が出版された。

アイヴズがシェーンベルク以降の音楽に辿り着いたのが、シェーンベルク自身がシェーンベルクの音楽にようやく辿り着いた頃のことであったというパラドックスが、アイヴズの音楽を聴くにあたって数多くの錯覚を引き起こしている。

1910年以前のヨーロッパにおいて同じパラドックスを持っていた作曲家が一人いた。それはほかならぬマックス・レーガーなのであるが、レーガーは直接的な後継者を持たず、ポスト・ロマン派の重要な流派の一つがヨーロッパでは途絶えることになった。

20世紀アメリカ音楽の祖の一人とされるホレイショ・パーカーという作曲家がいた。パーカーはミュンヘンで巨匠ヨゼフ・ラインベルガーに師事し、そこで古い教会音楽をはじめ、様々な旋律を引用するファンタジーの創作手法を学んだ。

巨匠ラインベルガーは、コダーイやバルトークの師であるハンス・ケスラーを教え、ケスラーの従弟であるマックス・レーガーを若き友人として遇した。
やがてパーカーやケスラーをはじめとしたラインベルガーの弟子たちがドイツ・ハンガリー及びアメリカ楽壇の中心を担う事になり、その流れを汲むはじめの重要人物がチャールズ・アイヴズなのである。

コダーイとバルトークが、都市生活とは離れたところに存在する旋律の採取に動き出した頃、すでにアイヴズは自分の作品ための旋律をビジネスバッグいっぱいに詰め込んで、交響曲第3番や『夜へ向かうセントラルパーク』を書いていた。

アイヴズがバルトークのように旋律採取の旅に出たかどうかはわからない。もしかしたら、ネイティブ・アメリカンがまだ都市から遠くないところで生活していたアイヴズの幼少期の、その記憶だけで彼の創作には十分だったのかもしれない。

カオスの中から旋律が顔をのぞかせるアイヴズの交響曲を聴いて、グスタフ・マーラーは異常な反応を示した。しかし、マーラーの死によって未来の扉は一度閉じられた。
その鍵を持っている人の名前は、長く忘れられていた。


「夜がやってくる」

アイヴズは口ずさみながら、歌とリズムを思い出しては、黙々と楽譜に書きうつしていた。

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20年2月23日(日) 20:00開演
「C.アイヴズ」
ヴァイオリン:甲斐史子
ピアノ:大須賀かおり
https://www.cafe-montage.com/prg/200223.html