室内交響曲 – Interior of the Sky

「十字をお切りになって、せめて一度でもいいからお祈りになって」
「ああ、いいとも、何度でもきみのいいだけ祈るよ!素直な心で祈るよ、ソーニャ、素直な心で…」
彼は、しかし、なにか別のことを言いたかった。

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ラスコーリニコフがその言葉を最後まで言うことはなかった。
そのことによって『罪と罰』の作中のみならず、これまでに書かれた物語の最も美しい一場面が生れた。世界の終わりの夢を見た、そのあと、病の癒えた二人が無言のまま新しい物語へと歩を進める、あの最後の数ページが。

彼らは最後の最後で出会い、夜を迎え、永遠になった。

大きな空
ゼウス、ジュピター、地上に墜落するファエトン。火を放つプロメテウス。

天空を司るギリシャ神ゼウスは、ローマではジュピターといわれるらしい。
ファエトンはクリュメネーを母とし、太陽を制御できないようにしてしまってゼウスの雷に撃ち落され、地上を火の海にした。
プロメテウスはクリュメネーという同じ名の母(もしくは妻)を持ち、ゼウスから火を盗んで人間を作った。
プロメテウスとファエトンは、お互いやらかしたことが何となく似ていると思うし、母の名前ももしかしたら同じだし、果たして何か関係がないのだろうか…。
そして、木星はジュピターの名前を与えられる前はファエトンと呼ばれていたらしい。本当にややこしい。

1822年、モーツァルトの最後の交響曲がムツィオ・クレメンティによってピアノ独奏用に編曲されたものがイギリスで出版された。その表紙には天空を司る神があしらわれ、その名である「ジュピター」という文字が刻印されていた。
それには、モーツァルトとハイドンの四重奏仲間であったディッタースドルフの交響曲「ファエトンの墜落」をモーツァルトが参考にしたのではないか、というところから、木星に掲げられたもう一つの名前である「ジュピター」が付けられたという興味深い話がある。果たしてファエトンとはプロメテウスのことではないのだろうか…。

プロメテウスは問う。
「この空と地上を、私の手の中にまるく収めることが出来ようか…私を広げて世界にすることが出来ようか」

マーキュリーは答えた。
「運命であれば」

プロメテウスは応じた。
「お前は運命を称賛するのか。私もだ!」

ジュピターの娘、女神ミネルヴァは言う。

「ジュピター神は、もしあなたが神の命をきくのであれば これらの像の全てに命を与えると仰せだ。生命を与えたり奪ったりする権限は、神々ではなく、運命の手にあるのです。」

プロメテウスは応じた。
「おお女神よ、あなたの力で生きましょう。生きること ― 彼らの喜びこそ、あなたへの感謝なのです!」

かくして人間が誕生するという戯曲『プロメテウス』を、ゲーテはノヴァーリスが生まれた翌年1773年に書いた。そして、その翌年に同じ題材による頌歌を書いた。
1800年、ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスター」をまったくの幻想世界に置き換えたノヴァーリスの小説「青い花」が登場、これによってギリシャがまさしく実在のロマンとして目の前に姿を現し、文学のみならず自然科学にも新たな形式としての秘蹟と記号が用いられるようになった。

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少女は花環でかざられ、素朴な歌をうたいながら、やさしい哀愁の情をたたえて彼の方を見やった。彼は胸のつまる思いがした。そのわけは自分にも分からなかった。空は晴れ、流れは静かだった。少女の神々しい容貌は川波に映っていた。急に小舟が旋回しはじめた。

少女は何ともいえない感情のこもった様子で微笑して渦巻く水を覗き込んだ。突然少女は渦巻の中へ引き摺り込まれた。一陣の微風が水上をかすめて過ぎ、水は前にかわらず静かにかがやいて流れていた。恐ろしい不安に彼は意識を失った。心臓はもう鼓動しなかった。

そこは知らない土地であった。自分がどうなったのかわからなかった。感情は消え失せてしまった。気が抜けたように、彼は陸地の奥のほうへと進んでいった。はげしい身の疲れが感じられた。ささやかな泉が丘から流れ、鈴の音さながらの響きをたてていた。

気分はこころよく落ちついてきた。そのときあの素朴な歌がまた聞こえてきた。彼はその声のする方へ走っていった。にわかに誰かが彼の袖を掴んだ。

「どうしてあなたは駆けていくのです。やっと追いつけたのですよ。」
 と、少女は吐息をついて言った。
「あの川はどこにあるの」と、涙を流しながら彼は叫んだ。
「青い波が私たちのうえにあるのが見えないのですか」
 彼は上を見た。青い大河が二人の頭の上を流れていた。
「僕たちはどこにいるのだろう。」
「お父さんやお母さんのいらっしゃるところです。」
「ぼくたちは一緒にいられるのだろうか。」
「いつまでも」

と少女はこたえて、彼に接吻し、二度と離れられないように、彼を抱擁した。
少女はふしぎな神秘の言葉を彼の口にささやき込んだが、それは彼の全身に響きわたった。彼がそれをくり返そうとしたそのときに、祖父の呼ぶ声がして、目がさめた。

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1801年、ノヴァーリスの死の年にベートーヴェンはバレエ音楽『プロメテウスの創造 op.43』を作曲、その3年後に英雄に捧げる為の交響曲 op.55 を書き、その終楽章にプロメテウスの主題を据えた。

それはジュピターに対するプロメテウスの返答なのか、もしくはプロメテウスに対する存在として「ジュピター」の名がモーツァルトの終楽章に与えられたのか。
誰にもわからないほどにこの二つの終楽章、― ベートーヴェンが自分の生年を1772年だと思っていたことを考えれば、二人の作曲家が共に32歳の時に書いたこの二つの作品は呼応している。

1819年、ベートーヴェンとシューベルトは時と場所を同じくして『ミサ・ソレムニス』を書き始めた。それはベルリンのジングアカデミーにおけるJ.S.バッハのロ短調ミサ曲の初演に続いて、ヨハネ受難曲そしてマタイ受難曲の全貌が音楽監督ツェルターのもとで徐々に明らかになりつつあったころであった。その合唱隊の中には若きメンデルスゾーンがいた。

『ミサ・ソレムニス』に取りかかっている間、ベートーヴェンは最後の3つのピアノソナタを書き、シューベルトはゲーテの頌歌『プロメテウス』を書いた後、ノヴァーリスその人と向き合い、カンタータ調の長大な歌曲『夜の賛歌』を作曲した。その中でもっとも有名な部分、死後に詩人が変容する「香りと大気」にあてられた楽想が、のちに『冬の旅』の中、「菩提樹」をそよがせる大気として再び登場することになる。

今を生きる自分と、遠い過去の物語の中に見つけた自分自身との間にまったく違いを見出さなくなっていた彼ら二人の作曲家は、より深い世界、その奥の方へと進んでいった。

先に袖を掴まれたのはシューベルトの方であった。
1822年、「ミサ・ソレムニス」を書き上げた彼は、ほぼ同時に2楽章しかないロ短調の交響曲 D759を書き終え、ノヴァーリスのその後の風景を描いたヴィルヘルム・ミュラーの『美しき水車屋の娘』に取り組んだ。水の中に足を踏み入れたシューベルトは、その中で『ミサ・ソレムニス』をまだ書いているベートーヴェンに会いに行った。

翌1823年、『ミサ・ソレムニス』を書き上げたベートーヴェンは、その年の終わりに合唱付きの最終楽章を擁したニ短調の交響曲第9番を完成させた。

1827年3月、ベートーヴェンが死んだ。
同じ青い波の下にいたシューベルトは『冬の旅』を書いた。
そこには三つの太陽が昇っていた。
そのうちの二つは沈んでしまった。

Zarathustra’s Untergang
夜の世界を覆い隠す太陽の光は、炎に吸い込まれて灰となっていた。
その灰をツァラトゥストラは山の上に運び上げ、そこで神の死を確認して、没落した。
ニーチェはその没落の書について、”石の客”という綽名で呼んでいた作曲家ケーゼリッツにあてて「音楽であれば、これは交響曲にあたるもの」と書いた。

日の出る前の天空に向かって、ツァラトゥストラは叫ぶ。

「神の美は、神を隠す。そのように天空よ、あなたはいまあなたの星々をかくまう。」
「あなたとわたしは、もとから知己であった。わたしたちの憤りと戦慄と深淵…太陽を持つこともわたしたちに共通だ。」
「あなたとわたしは光と炎の関係ではないのか?」

光と炎の関係、それはノヴァーリス『青い花』第1部の最後を飾る、有名な「クリングゾール寓話」にもあらわされている。

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彼女は悲しげに空を仰いだ。
太陽は怒りに燃えていた。
凄まじい炎が太陽の光を吸い取った。
太陽は懸命に光をつかまえて、離すまいとしていた。
太陽の色が褪せれば褪せるほど、炎はいよいよ白く、勢いを増した。
炎は一層激しく光を吸い込み、まもなく白昼の星の輝きが吸いつくされて、ただどんよりとした光の円盤のように空にかかるだけとなった。
太陽は黒い、鉄くずほどのものになり、海に落ちて行った。
炎は言葉に尽くしがたい強い輝きをみせ、ゆるやかに空にたちのぼって、北の方へなびいて行った。

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「シュライエルマッハーによって、ノヴァーリスの宗教詩のいくつかが賛美歌に取り入れられ、今日なお相当な数の牧師たちが、職務としての日曜日の説教を行いながら、何も気づかないままこれらの詩句の危険な炎の間近を通り過ぎている」
(ヘルマン・ヘッセ『ノヴァーリス その生と死の記録』の後書き)

今日も私たちはその炎のすぐ傍を通り過ぎたばかりなのではないだろうか?

ツァラトゥストラは構わずに続けた。
「ほんのわずかな知恵は、確かに可能である。だがわたしが万物において見出した確実な幸福は、万物がむしろ、偶然の足で ― 踊ることを好む、ということである」

1868年、24歳のニーチェはライプツィヒでワーグナーに出会った。
その翌年、スイスのバーゼルで古典文献学の教授に就任し、ブルクハルトそして「ルネサンス」に出会い、執筆活動に勤しむようになった。
若き古典文献学教授は頻繁にルツェルンのワーグナーを訪ね、『ジークフリート』そして『神々の黄昏』が書かれる間、ずっとワーグナーの傍にいた。
ニーチェは古代の神話といま目の前で書かれつつあるドラマの間に立ち、自分のみならず、世界にとっての重要な役割を見出しつつあった。

青い波が、彼らの頭上で揺れていた。
1872年、ニーチェは『音楽の精神からのギリシア悲劇の誕生』を脱稿、ワーグナーに捧げ、教授をやめてバイロイトで働きたいという願いをワーグナーに伝えた。そのあとすぐ、バイロイトの祝祭管理委員会の設立がニーチェ抜きで行われた。ニーチェはワーグナーから段々と遠ざかり、ここから彼らのUntergang-  没落が始まった。

ワーグナーが死んだ1883年2月、ニーチェは『ツァラトゥストラはかく語りき』を恐るべき速度で書き進め、「これを持って私は新たな『指輪』の世界に分け入ることになる」と”石の客”に語った。

「世界は深い。― 昼が考え及ばなかったほどに深い。」

ツァラトゥストラが天空に放った叫びは、最後にもう一度輪唱され、グスタフ・マーラーはそれを交響曲第3番に採り入れた。

かつてワーグナーがベートーヴェンの音楽を、「ついには深淵に引き入れられる…世界の踊りそのもの」と言い表したことも、ニーチェにはごく親しい感覚であった。
光を吸い取られた黒い太陽が、海に落ちていくのを彼らは見た。

ニーチェはその晩年、完全な孤独の中に自分の身を置いたあとで、コジマ・ワーグナーに手紙を書いた。

「私が一人の人間であるというのは、ただの思い込みです。私はインドでは仏陀、ギリシャではディオニソス、そしてアレキサンダーやシーザーの生まれ変わりで、そこでシェイクスピアにとってのベーコン卿と同等の役割を演じていた。最近ではヴォルテールやナポレオン、そしてリヒャルト・ワーグナーだったことだって、多分あるのです…」

彼はもう決して光を手放すまいと決めていた。ラスコーリニコフがソーニャの手を離さなかったように。

「彼女の眼には永遠が宿っていた。私はその両手をつかんだ。」

 


室内に一人、手には1冊の本がある。
行こう。飛べなくてもいい。

この中にあの果てしない空が広がっている。

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2019年12月5日(木)~12月9日(月)
「室内交響曲」 – Interior of the Sky

フルート:瀬尾和紀
ヴァイオリン:瀬﨑明日香
ヴァイオリン:野田明斗子
ヴィオラ:小峰航一
チェロ:上森祥平
ピアノ:菊地裕介
ピアノ: 松本望
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