ニコライ・メトネルのこと

メトネルが1933年にパリで書いた「ラフマニノフ」という雑誌記事がある。これは作曲家ラフマニノフについて語りながら、その実、自分語りをしているのではないかと思われる貴重な文章である。

まず登場するのが「名声」についての辛辣な批評だ。
ラフマニノフ、名声ある人なのだが大丈夫かな…と思っていたら、早々に「ラフマニノフについて論じるのは、彼が著名であるがゆえに難しい」ときた。…やっぱりだ。

でも、そう書いた後で、「でもラフマニノフは本物だから」と必死に言い訳するメトネルの言葉を追いながら、本当にいい人なんだなと思う、これは心温まる文章なのである。

なんとかラフマニノフの面子を立て直した(と恐らく彼自身が満足した)あと、「作曲家の音楽そのものを理解するための鍵であるかのように、なぜ作曲家の伝記に頼るのか。」と、いまここで書こうとしていることなど一瞬で吹き飛びそうな一言を読者に浴びせかける。
(ここだけの話ですが、メトネル先生、あなたの伝記に日本語訳はないのです。)

この文章の最後の方に、メトネルはとても興味深いことを書いてくれていた。
それはラフマニノフの指揮者としての功績について書いているもので、チャイコフスキーの交響曲が、ロシアにおいてでさえもアルトゥール・ニキシュ(ドイツの名指揮者)もしくは彼の模倣者による演奏でしか聴けなかったと、まずメトネルは不満を述べる。

ニキシュの天才的な解釈を認めながらも、それがゆえにたちまち「盲目でへたくそな模倣者の、素人で自称の指揮者たち」の餌食になった、と当時でも下手をすれば裁判沙汰になるのではと心配になる勢いでさんざんに毒づいた後で、そこに登場したラフマニノフによる指揮棒の一振りよって「この模倣の伝統が曲の中から消え去って、私たちが再び、これをまるで初めて演奏される曲のように」聴いた時のことが忘れられないと、遠くを見つめるメトネルの眼差しには、やはり読むものを感動に導くものがある。

指揮者としてそのような特別な体験を聴衆に齎しながらも「いやまだ全くこうではない、違う……」と常に不満を漏らすラフマニノフを描き、『鐘』が町の生活から消えゆくいま、「この深く、圧倒的な音で、街頭のあらゆる不協和音を覆いつくす、その打つ音の一つ一つの価値をとりわけ大切に」という大団円で、この感動の文章は締めくくられる。

メトネルが1909年に作曲した曲集「おとぎ話」op.20には、「鐘」”Campanella”という小品が含まれていて、その副題が”Song or tale of the bell, but not about the bell” つまり「鐘の”歌”もしくは”おとぎ話”、だが鐘の音ではない」となっている。

1913年に初演されたラフマニノフの合唱付き交響曲「鐘」は、さまざまな鐘の物語を題材にしている。この作品の発端は、1907年にポーの作による鐘の詩をラフマニノフが入手したことであったらしい。

鐘の音の描写ではない鐘物語の世界観を、彼ら二人の作曲家が直接に共有していたかどうかはここでは重要ではないかもしれないが、二人の結びつきが運命的なものであったと様々な文献に書かれていることの、ひとつの象徴であるような気もしてくるのである。


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2021年7月1日(木) 20:00開演
「N.メトネル作品集」
ピアノ:秋元孝介
https://www.cafe-montage.com/prg/210701.html