そこに行くべきか それが問題だ

医療崩壊ということが叫ばれています。
それは確かに深刻な問題です。

それは患者が増えすぎることで、必要な医療を受けることが出来ない人が出てきてしまうということのようです。3月の初めの時点で広くその危機感が叫ばれ、私たちが協力することでなんとかしなければと行動にうつしてから、すでに1か月が経ちました。

いま、この問題をもう一段階、深刻に考えてみる必要があるということについて、お話をしたいと思います。

これはまだ誰にでも通じる話ではないかも知れませんが、医療崩壊は患者の激増によっても発生するし、患者の激減によっても発生します。

新型ウィルスは患者を増やしもしていますが、それ以上に急激に減らしもしている可能性があるということに目を向けた人はいると思います。より強い注意を増える方にだけ向けるべきであったのは、まだこの問題が1,2カ月の短期で改善するのではないかという希望があった時期の事です。でも、残念なことにそれはもう過去の事で、現実はその淡い期待、そして恐怖を飛び越えて行きました。

もはや人はその患者の極端な減少にも気を配らなくてはいけない段階、そうした長期的な視野を持たなければいけない時期に来ていると思うのです。

ここは安全ですというメッセージは、全部嘘です。それはもう誰でも知っていることです。でも、必要な病院までもを安易にその危険性の対象にしてしまい、患者が途絶えてしまえば、その病院は消滅します。病院が消滅すれば、医者の成り手がなくなります。そのことが将来どのような結果を齎すか。その危険性について、私たちは考えなくてはいけなくなってしまったのです。

実はここで医療に携わる人たちにお願いしたいことがあるのです。私には病院の知り合いがいないからここに書くしかないのですが、これを読んだ人の知り合いに関係者の人がいればと思って書きます。

お願いしたいこと、それは病院が安全に医療を行っているという体制、それをそれぞれの病院の規模で連帯して形式化して、分かりやすく患者に伝えて欲しいということです。
そうやって努力しても院内感染は起きてしまうというリスクも伝えたうえで、治療が必要であれば診察に来るようにと、患者に向けて強いメッセージを発してほしいのです。

治療を必要としている患者と、そうでない患者をどのように分ければいいのか、その判断をするということが病院というほぼ公共的な仕事の場所では難しいと思います。分け隔てするということ自体が、医療そのものの理念に反するということなのかもしれません。

しかし、いまは病院も自分のことを守ることを考えて欲しいのです。あなたたちが無事であれば、私たちも助かります。病院がなくなってもいいから、自分は無事平穏でいたいなんていう人はいないでしょう。

感染リスクを減らす方法を少々厳しめでもいいのではっきりと示し、そのリスクも分かりやすく示したうえで営業している病院があれば、そこに一定数の患者が足を運ぶのは本当に大事なことです。

病院が示すガイドラインに従って、治療が必要な人が臆せずに通えるような状況にするには、患者の強い協力が欠かせません。いうまでもないことかもしれませんが、私がここで患者というのは、いまは何の症状のないひとのことも含んでいます。

病院は、混みすぎてもいけないし、まったく患者がいない状態でもいけない。どちらも医療崩壊を呼び起こします。医療を守ろうという私たちのメッセージは嘘ではないはずです。だったら、まずは地元の病院を大事にすることです。必要な人が行くという体制を、地元のみんなで維持する努力が必要です。

病院に行けないと困ります。院内感染が発覚するリスクを減らすことと同時に、病院そのものがなくなるリスクも減らして欲しいのです。

しつこいかもしれませんがもう一度。
医療崩壊を起こさないために、患者がまずしなければいけないことは、院内感染のリスクを減らすことに協力することです。必要でなければ行かないという大前提の元に、必要であれば行くという選択肢を残しておくことです。そのために、患者は自分自身の行動を律しなければいけません。

リスクを少しずつ確実に減らす方法を書きます。この方法が、病院が必要なすべての人の共通意識になれば、医療崩壊はしばらく防げると思います。

まず、病院には家から直接行くこと、そして病院から直接家に帰ることです。病院に行く途中で買い物をしたり、外食をしたりしてはいけません。また、病院に着いてすぐ、そして家に帰った時にすぐ、一番に手を洗うことです。これを徹底すれば、かならず少しましになります。寄り道はダメ。それが基本。

病院の中でも、必要以上にうろうろしないこと。先生の言われたことに答える以外、喋らないこと。文庫本を常に持ち歩いて、雑誌があってもさわらないこと。ほかにも、色々あると思いますが、病院が分かりやすいガイドラインをつくってくれていれば、それを丁寧に読んで従えばいいのです。わからないところは質問してもいいですが、筆談の方がいいかもしれません。地元の病院であればメールか電話をしてもいいでしょう。

「危機感」を充分に備えた患者を動かすにあたって、病院で混雑を解消できるかどうか。そこは病院の決意のほどにかかっています。特別な予約のシステムが必要かも知れません。そうだとしても、急病人や予約システムにアクセスできない人のスペースを確保しながら、病院は神経を使って大変な思いをするだろうと思います。そのための協力を惜しまないという患者の存在は、病院にはこれ以上ない助けです。

それでも訪れてしまう患者が絶えず、感染リスクを減らすことが出来ない場合には、病院は表玄関を閉じるでしょう。でも、これまでにもあった経験から言うのですが、かれらは裏口はそっとあけておいて、本当に必要な人に医療を施すでしょう。しかし彼らをそんな窮地に追い込みたいなどと、誰が思うのでしょうか!

病院はいま一番必要です。その他に必要なものは、人それぞれにあると思います。
でも、行くべきところに行くときの基本はひとつだと思っています。
家からそこに直接行き、そこから家に直接帰る。寄り道はダメです。スーパーと床屋さん
に行くには、家→スーパー→家→床屋→家。そして毎回の手洗い。

電車を乗り継いで行かなければいけないところには、なるべく行かないこと。絶対に寄り道をしないという覚悟でなら、どうでしょうか。他の人の意見は頼りになりません、自分で考えなければいけません。
用事はなるべく近所で済ませること。それはいつだって大事なことで、寄り道がダメということは学校で教わったはずですから、それを実践すればいいだけだと思ってください。

飲みにいくにも、家に一度帰ればいいのかと、誰かにきかないとわからないでしょうか?飲み屋さんも人間です!あなたにとって大事なら守りましょう!!とにかく家には一度帰るのです!!!

あなたにとって大事ものは、あなたにしかわからないのは当然のことです。
上に書いた文章の 病院 という文字を、あなたが大事だと思っているものに置き換えてみれば、それがあなたにとって本当に大事かどうかの、少しは判断の基準になるかも知れません。でも過信はしないでください。

肝心なのは、自分が行動するということです。行動とは、他人に頼らず、また他人の行動を非難せずに、自分が行くべきでないところに行かないということであり、行くべきところには万全の態勢で行くということなのです。そうしたあなたの行動は、感染拡大の速度をいまより抑えるでしょうし、医療崩壊を防ぐことにも役立つはずです。私は真剣に言っています。

もう一度言います。メッセージは二つあります。

行かなくていいところに行かないでください。
行くべきところには家から直接行って、直接家に帰ってください。

すでに行動をおこしている人を何人か知っていますが、私はその人たちから大変に大切なことを教わり、勇気づけられました。それは、大事な事とはなにか、そのために何をするべきかを自分で考えて実行するということです。
それが一番の悩みであり、問題なのです。


以上、です!!!

カフェ・モンタージュ 高田伸也

このような最期の言葉

ベートーヴェンは1827年3月26日に死んだ。

作曲家みずからが生前に希望していたからだとか、有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」の中で、死の原因を自分の死後すぐに記録せよと書いていたのに従ったのだとか、色々と言われているが、ともかく、ベートーヴェンは死後すぐに解剖された。 “このような最期の言葉” の続きを読む

禁じられた林檎

音楽に新たな形を持たせること、そのことは禁じられていない。

私たちは禁じられていることを、してはいけない。
いま私たちに禁じられていることとは何か。
それは、自ら他人に必要以上に近寄らないことであり、他人同士を必要以上に近づけないことである。
ルールはもともとそこにあった。ただ、それが禁じられていることを私たちがずっと知らなかったというだけなのだ。

“禁じられた林檎” の続きを読む

人間失格

これは本当に自分の身勝手な話で、文字通りに身勝手な話にすぎるので、なかなか周りの人にも相談することの出来ていない話です。

いま、私は人の道から離れたことをしようとしているのかもしれない。
そのような不安から逃れることが出来ずに悩んでいます。
その悩みはある一つの小さな疑問を持ったことから始まりました。 “人間失格” の続きを読む

いま、カフェ・モンタージュの役割

今年に入ってからの新ウィルス問題が、最早ある特定の地域あるいは日本だけでなく世界的な規模に膨らんだ今、公演の開催に向けた意識をまったく新たな段階に移す必要があると考えました。

そのことについて、今から書きます。
その前に、もしこの文章をいまから読もうとされていて、フィクションというものの実在を疑っている方がいらっしゃるとすれば、その方にとってはこの文章が全く意味をなさないかも知れず、読むことがまったく時間の無駄でさえあるかも知れないということを、まずお断りしておきたいと思います。

それでは、書きます。 “いま、カフェ・モンタージュの役割” の続きを読む

アイヴズの、教え給いし歌

あの子供の頃の景色、お気に入りの思い出を描いてみせることは、心にとってどれほど愛しいことだろう! - “The Old Oaken Bucket”

20世紀の作曲家たちが、それぞれの国から消えゆく運命にあった旋律を手にモダニズムの扉を叩いたのは、おそらく偶然ではない。子供の頃の風景を思い出して、描いて人に見せることがどうすれば出来るだろうかと彼らは問うた。

歌を口ずさめばいいのだと、20世紀の困難な時代において、彼らは言った。
まずチャールズ・アイヴズが歌い出した。

「夜がやってくる。それまでに仕事を終わらせよう」 “アイヴズの、教え給いし歌” の続きを読む

シューベルトを完成させる

すでに重要な歌曲を書いていたシューベルトが、満を持してはじめてのピアノソナタを書き始めたのは1815年の事、それはベートーヴェンが長い沈黙を破ってop.101とop.102のソナタを書き始めたのと同じ年であった。

二人の天才が生活していたウィーンという狭い街に、1815年、どのような色彩そして香りが振り撒かれたというのだろう。ある時代のはじまり、それはまさにウィーン会議の年であって、ヨーロッパ各国の重要人物がウィーンに齎した何かが、彼ら二人をしてソナタを書けと促したのだったのだろうか。 “シューベルトを完成させる” の続きを読む

完成するシューベルト

作曲家は 早く死のうが長生きしようが、晩年に完成する。
それは本当なのだろう。

しかし、シューベルトの到達点のひとつとして『幻想ソナタ』をみていたロベルト・シューマンが、はじめて最後の3つのソナタが登場した時、それを見て瞬時にシューベルト創作の後退と認識し「作曲家の初期の作品と取り違えかねなかった」と言ったことの意味を考えると、晩年に完成するシューベルトの物語が、ロマン派においては今と違う形であったことが分かる。 “完成するシューベルト” の続きを読む