Du mußt es dreimal sagen.
「おはいり」、とファウストは3度言わなければならなかった。
オペラ「ルル」原作の冒頭の長台詞においても、ヴェーデキントは「おはいりなさい」と3度、猛獣使いにいわせている。
ウェーバーの「舞踏への勧誘」でも、大変に長い3度目の「おはいり」のあと、ようやく舞踏会への入口が開かれる。
ベートーヴェンも2度目の脅しつけるような「おはいり」のあと、3度目の「おはいり」が長く、そのまま追っかけ合いの舞踏会に突入する。
ショパンの「おはいり」は短いけど、しつこい。
彼の手紙を読んでいると、とにかく自分が良いと思うのだから間違いない、説明はしたくない、と色々と端折りがちで、分かってくれない人に悲しい眼差しを送ってすぐ「散歩に行ってくる」人の横顔がリアルに浮かび上がってくる。
そこにいくと、リストはきちんと3度「おはいり」とはっきり言ってくれる。
(開始時間41:42)
さすがの社交人。ホロヴィッツの蝶ネクタイと楽友協会を満たす一同も、ここでは満面の笑みを浮かべている。
そして、シューベルトはと言えば…
彼は「おはいり」を一度もいわず、いきなり人の手を取ってその場で踊り出す。
車に乗っても彼は助手席のいうことをまったく聞かず、「ほらほら、気持ちいいでしょう」といって時に急ハンドルをきる。
目がまわる、でも、外に広がる絶景!!
舞踏会は 行くものではなく 招待されるもの。
ショパンはそのような手続きを踏むのがとにかく面倒だったし、でも周りには社交人が取り巻いているしの板挟みで、せっかちに「おはいり」を連発していた。
シューベルトはその場で踊り出す。
シューベルトとショパンは、手続きを踏まずに美しさを追う事では本当に似たところがある。
ワルツの途中、脚をあげては相手に失礼だという場面でも、彼らはその形が美しいからという理由だけで、いきなりスカートを跳ね上げる。そして、それをみて色めく紳士の欲求にもう一度応えようということもない。
1816年に作曲されたシューベルトの「哀しみのワルツ」は、1821年に36の「初めてのワルツ集」の第2曲として出版された後、シューベルトの手を離れて、大流行。ウィーンの誰もが知るメロディーとして広まった。
ベートーヴェンの弟子ツェルニーによる「ある有名なワルツによる変奏曲」も、そしてビーダーマイヤー演劇の巨匠ライムントによる「百万長者の農夫」にドレクスラーが作曲した主人公のアリアも、ウィーンの人々はそれがシューベルトの手による「哀しみのワルツ」であることを知らずに喜んで聴いていた。
そんな有名な「哀しみのワルツ」のメロディーは、いつしかベートーヴェンの作曲によるものに違いないという都市伝説が跋扈し、「百万長者の農夫」と同じ1826年、ついにショット社からベートーヴェン作曲「憧れのワルツ」として出版されてしまった…。
「憧れ」のタイトルは今でも通用するらしい。
ところで「最初のワルツ集
Op.9」は、そのタイトルからシューベルト初期のナイーブな小品集のように思っていたのだけれど、年表を整理するとそれは1815年の「魔王」から1822年の「未完成」までを包括する、シューベルト芸術の成立を一度に俯瞰出来る大変お得な、そして天国的な曲集なので、年表整理をしてみる。
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-1815
ベートーヴェン op.102
シューベルト 魔王
-1816
ベートーヴェン op.101
ロッシーニ セビリアの理髪師
シューベルト 哀しみのワルツ
-1821
ベートーヴェン 最後のソナタ集
ウェーバー 魔弾の射手
シューベルト 最初のワルツ集
ゲーテ 「遍歴時代 」初稿
メンデルスゾーン ゲーテ訪問
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メンデルスゾーンのゲーテ訪問といえば、翌1822年には彼の作品1が発表され同じ年にシューベルトの「未完成」交響曲が未完成していることを合わせて、その後の100年が約束された決定的な年だから、このあたりは多分試験に出ます。
シューベルト「…出るね?」
いや、出したほうがいい!
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2019年3月3日(日) 20:00開演
「初めてのワルツ」
― シューベルト ピアノ作品全曲シリーズvol.13 ―
ピアノ: 佐藤卓史
http://www.cafe-montage.com/prg/190303.html