遠い人、テレマン

遠い-人 Tele-mann
テレマンはいつも遠くにいて、でもいつも見えるところにいる。忘れられたことがない。つまり、テレマンが「忘れられた作曲家」であったことはない。いつも見えているから、発見されたことがない。

20歳のテレマンは法律学生としてライプツィヒに行く途中で、16歳のヘンデルと邂逅、ライプツィヒに着いた後は聖トーマス教会にカンタータを提供する一方、当時まだ小屋という規模であった劇場でオペラを上演し、市民や学生と共にコレギウム・ムジクムを主導、のちにバッハが受け継ぐべき基礎を作った。

23歳のテレマンは、フランス音楽に精通していたプロムニッツ男爵に仕えるためにポーランド西部の街に移り住んだ。プロムニッツ男爵は、いわばモーツァルトとベートーヴェンにとってのスヴィーテン男爵のような枠割をテレマンに対して演じることになった。

プロムニッツ男爵のもとでテレマンはリュリを中心としたヴェルサイユの音楽芸術を真正面から受け止め、同時にポーランドの地方音楽に熱心に耳を傾けた。このポーランド時代を境に、テレマンは同時代のクープランと並ぶ「趣味の融合」の大作曲家への道を歩むことになる。

テレマンは28歳の時にアイゼナハの宮廷に仕える身となり、アイゼナハ出身のバッハとの知遇を得、後に次男カール・フィリップ・エマニュエルの名付け親となるその前に、「生涯を安定した環境で過ごすためには”自由都市”に住むべきである」という声に従って、31歳のテレマンはフランクフルトに移り住んだ。

テレマンはありとあらゆるイベントでごった返すフランクフルトにおいて、宮廷、教会そして一般市民の音楽全ての中心に身を置き、縦横無尽の活躍を見せた。その間にテレマンは最初の妻を1年ほどで亡くし、再婚した。

1721年、40歳のテレマンはもう一つの自由都市ハンブルクに音楽監督として招かれた、私達からいつも遠くに見えているあのテレマンは、この時からのテレマンである。

ハンブルクに移り住んでからのテレマンの活躍は、当時のドイツにおいて比べる者のない地点に達していた。楽長として、そしてハンブルクオペラの主導者として活躍する一方、室内楽を本領と自認していたテレマンは、フランス人以上にフランス的な四重奏曲を書いた。

大クープラン亡き後のパリでテレマンの音楽は熱狂的に受け入れられ、ついにはテレマンをパリに招く事態となり、1737年、半年間のテレマンのパリ滞在はフルーリー摂政下の空気を一新した。この4年後にラモーがコンセール集を出版し、さらに4年後、ポンパドゥール夫人が仮面舞踏会に現われることになる。

1715年5月25日にフランクフルトで生まれたテレマンの長男アンドレアスは牧師になった。アンドレアス牧師は40歳の時に死に、その息子ゲオルグ・ミハイル(7歳)はハンブルクの祖父に引き取られた。1755年、74歳になっていた大テレマンがどのように孫を迎え入れたであろうか。

1767年、最後の作品にして最高傑作といわれるカンタータ「イーノ」を残して、大テレマンは86年の生涯を閉じ、孫ゲオルグ・ミハイルは「祖父に捧げる悲しみの頌歌」を作曲し、祖父が名付け親であるところのフィリップ・エマニュエル・バッハをハンブルクに迎え、ゲオルグ・ミハイルはラトビアに移り住んだ。

ゲオルグ・ミハイルはラトビアの首都リガの音楽監督となり、祖父の音楽をたくさん演奏した。大テレマンの楽譜は愛弟子ペルヒャウが受け継いだ。それはフリードリヒ・ヘルダーが同じリガの教会に来て、その港からパリに旅立ち、ドイツロマン派がその幕開けを見ることになるほんの数年前の出来事であった。

ペルヒャウはハンブルクのフィリップ・エマニュエルの所有していた大バッハの楽譜もたくさん受け継ぎ、それらは1841年にベルリンの王立図書館に収められた。その「ペルヒャウ・コレクション」の中に、大テレマン全盛期に書かれた「ヴァイオリンのための12の幻想曲」も含まれていた。

今日、音楽における「再発見」という、19世紀から使われ続けている言葉についてあらためて考えてみる。それは、昔の人が知らなかったことを発見しているのではなく、昔の人が知っていたものを再発見しているのだ、ということの可能性について。

バロック音楽の再発見は20世紀初頭にもあって、その時代には、その後の二つの大戦で失われてしまった資料も参照出来たのかも知れない、ということを考えてみる。新古典主義や六人組が中世からルネサンスの音楽を、すでに参照していたことについて、少し考えてみる。

例えば、ラヴェルがフローベルガーのホ短調幻想曲を下敷きに、古今東西、様々な断片を組み合わせて、「クープランの墓」のホ短調フーガを書いたということについても少しだけ想像してみる。

遠い人 テレマンが「12の幻想曲」に収録した音楽は、例えば六人組が500年前の音楽までを参照にしたよりも広大なものであったという可能性について。そこにモーツァルトの後期交響曲が含まれていることと同時に、どこまで遡った音楽が含まれているかを想像をしてみて…その果てしなさに呆然とする。

教会で、宮殿で、市井においても、その地を行き来する音楽を全て吸収して再構成し、ポーランドにおいてロマン派や20世紀に先駆けた「東との邂逅」を吸収し、フランス宮廷音楽と共に再構成したテレマンが、その定期予約者には20%の割引を与えて売り出した「幻想曲」というシリーズ4部作のひとつを聴きます。

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2019年2月14日(木) 20:00開演
「G.P.テレマン」 無伴奏ヴァイオリンのための幻想曲
バロック・ヴァイオリン: 阿部千春
http://www.cafe-montage.com/prg/190214.html