裏返されたハ短調 – PARTⅡ

「彼女のために存在するのは、私だけでいい」

そのように歌う歌曲『秋に』を、シューマンは18歳の時に作曲しながら発表せず、のちにその旋律をピアノソナタ 第2番の緩徐楽章に写し取った。

1829年、19歳のシューマンは全4楽章からなるハ短調のピアノ四重奏曲を書いていた。その作品はほぼ完成したところで放置され、シューマンはのちに作曲家としてのデビュー作として、同じ1829年に書いたピアノ曲「アベッグ変奏曲」を作品1として出版した。

そのハ短調のピアノ四重奏曲は、のちに一度は交響曲に翻案しようとしたことがあるらしい。しかし、この作品の完成は先送りにされた。
結局この四重奏曲は1979年に特に第1楽章が大きく省略された形で発表され、2005年には現存する譜面が最大限活用された完全補筆版が初演された。そして、「ベートーヴェンとシューベルトの影響からまだ脱していない習作」という居場所を与えられて、そこに座っていた。

しかし、このピアノ四重奏曲はそのような過去の遺物ではなく、シューマン自身が未来に先送りした資産だったのではないか。
そう思ったのは、この作品の冒頭部分が1842年、つまりシューマンの「室内楽の年」に書かれたピアノ五重奏曲の冒頭で、裏返しの変ホ長調としてリバイバルされているのではないかと思うからなのだが、、
試しに、ハ短調のピアノ四重奏曲と変ホ長調のピアノ五重奏曲の、二つの冒頭部分を繋げてみると、このようになる。


どうだろうか、、

1888年、ブラームスは若い弟子が持って来た作品を見て、鋭く批判し、挙句の果てにはシューマンの『秋に』をピアノで弾きながら「これをシューマンは18歳で書いたんだ。結局大事なのは才能なんだ」と言って涙ぐんだ。
気の毒な弟子には大変つらいことだったかもしれないが、このエピソードにはシューマンには若書きなど存在しないというブラームスの切ない確信が表明されているように思えて味わい深い。
この歌曲を含むシューマンの遺稿を俯瞰してシューマン全集を編集したブラームスが、ハ短調のピアノ四重奏曲を知らなかったはずはない。

「とてもモダンに聴こえるけれど、これがなんと1842年の作品なんだ」と、シューマンのあるピアノ三重奏作品について評していたブラームスは、このピアノ四重奏曲の第2楽章、ドアを開けたと思ったら逆方向に走りはじめるメヌエットのことをどう思っていただろうか。時間の逆方向からマックス・レーガーを乗り越えて後期ロマン派に辿り着いてしまいそうなこのギャロップを見て、あきれるほかなかったかもしれない。

このピアノ四重奏曲ではなく『アベッグ変奏曲』を選んだシューマンは、室内楽も、ハ短調の作品さえも長く書くことがなかった。

1842年の「室内楽の年」、やはり因縁のピアノ四重奏の影は差していたに違いない。でも、シューマンはそれをまずピアノ五重奏曲の中で消化し、長いトンネルを抜けたそのあとで新しいピアノ四重奏曲の作曲に取り掛かり、瞬く間に完成させた。

過去の遺物か未来の音楽か、もしかしたら人を戸惑わせるせるかもしれないこのピアノ四重奏曲 ハ短調だけれど、この作品を聴くことで生まれる新たな時間のその先に、あの変ホ長調のピアノ四重奏曲はどのように響くのだろうか。
そこに、シューマンの訪れを待ちたいと思った。

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2022年1月31日(月) & 2月1日(火)

「R.シューマン」 室内楽全集 VOL.2
– 2つのピアノ四重奏曲 –

ヴァイオリン:上里はな子
ヴィオラ:坂口弦太郎
チェロ:江口心一
ピアノ:島田彩乃

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