知りたい気持ち

音楽に限らず、何か心惹かれる対象があれば、もっとそのことについて知りたいと思ってしまう。

“音楽”に限らない… まずは”人間”で考えてみよう。
あの人のことを気になるきっかけはなんだったのか… と考えてみる。
たぶん、大手有名商社の勤務で、独身で…と同僚がうわさをしているのを聞いたときからだ。…でも、それだけで興味を持ったなんて、自分で認めるわけにはいかない。あの人が素敵だからだ。でも、なぜ素敵なんだろう…ここにとどまっていたくない。もっと知りたい。

まず、有名商社勤務で、おそらく給料が高いだろう。と思って調べたら、その会社の勤務3年目の平均給与を見るだけでも、やっぱり高いはずだった。
じゃあ、あの人はそのお金を何に使っているんだろう。そこに素敵な理由があるはずだ。

…いくら、人づてに聞いたり、会社帰りに300メートルほど後をつけて調べようと思っても、まったくわからない。
秘密主義なのか、ミステリアス、、いよいよ深みにはまってきた。

「いまお帰りですか?」 声をかけてみた!! 
あの人はふりかえった。
「ああ、このごろよくお見掛けしますね。」

300メートルの尾行、、見られてた!!

それから、なんとなくご挨拶をする日々が続き、徐々に、故郷はどこですかとか、親戚に学校の先生が多いとか、先生といえばこんな人がいましたとか、いろいろ回りくどいお話をするうちに、ようやく本題にたどり着いた。

「奈良公園のシカ、実はあそこの食料は全て私が買って送ってます」

有名商社の高月給、鹿のエサに、、、!?

ものすごく偉いことをされている気がするけど、素敵なのかどうかがすぐに判別つかない。…(※フィクションです)

果たして、自分とあの人が一緒に暮らしたとして、鹿の分は果たして自分にも回ってくるのだろうか。少しくらいは…。

素敵なあの人と、私の未来という、おとぎ話が
私の暮らしが上向くか、鹿がこれからも元気に暮らしていくかという、胸がいたくなるような二項展開(?)に発展している。しかも、おそらくどちらも自分には縁のない話だ。

知りたい気持ちを発展させると、自分の居場所が変わっていく。
音楽でも「のちの音楽の方向性を決定づけた最重要作品」と本で読んで、ある交響曲を聴き始めた、そのあとに自分を待ち受けている、おそらく自分には縁のない話のあれこれが、実際に自分の精神の居場所を変えていくことになる。

ブラームスの二重協奏曲は、バロック時代のコンチェルトグロッソに倣って…、と言われると、よくわからない憧れの気持ちが湧いてくる。ブラームスを聴きながら、同時にバロック時代のコンチェルトグロッソを体験するなど、自分の身には過ぎた体験だと自分は思ってしまう。そして、憧れる。

そこから、いろんな人の書くものを読んだり、脳内でブラームスを300メートル脳内尾行したりするうちに、ベートーヴェンの話になったりする。
「ベートーヴェンが書いた『大公トリオ』の冒頭にも、二重協奏曲の冒頭と同じような場面が出てきますね」とブラームスが言う。

ベートーヴェンのトリオ?たしかに…でも、それとコンチェルトグロッソは何の関係が・・・(※フィクションです)

ブラームスのあとをつけることは、特別に面白い。
そこで一生過ごすことが出来ればどれだけいいだろう。そのような憧れをもたらしてくれるし、ついその姿を追いかけてしまったあとには、まったく想像しなかった道に誘い込んでくれる。
そして、はたと立ち止まって周りを見渡した時には、そこにいるのが自分だけではないこと、そして自分の心の中にはまだあの憧れが残っていることを教えてくれる。

ブラームスの第2番のピアノ四重奏曲も、歌劇のような幻想の世界に誘われて、ときどきモーツァルトやシューベルトとすれ違いながら、まだまだ答えの出ない道をこれからも歩かせてくれる素敵な作品なのだ。

もっともっと、聴いていたいと思う。

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21年9月9日(木) 20:00開演
「J.ブラームス」- ピアノ四重奏 VOL.2

ヴァイオリン:黒川侑
ヴィオラ:小峰航一
チェロ:上森祥平
ピアノ:島田彩乃

https://www.cafe-montage.com/prg/210909.html