内なる声

内面という概念について、ヘーゲルが書いている。
とうとうヘーゲルが出てきたぞ、と思って、自分も身構えている。
ヘーゲルの名を世に知らしめた『精神現象学』(1807) については、誰でもとにかく手に取るくらいの事は出来るというほか自分は説明が出来ない。今からそれを、なんと読んでみようというのだ。

ヘーゲルを読むというのは、矛盾した行いである。しかもそれが『精神現象学』のような、 “内なる声” の続きを読む

なぜ、弦楽四重奏か

弦楽器奏者とは、19世紀人の生き残りだ。

例えばここにルイ・シュポアが乱入してきたとする、弦楽器奏者はそれをみて歓喜し、すぐに合奏へと誘うだろう。また、鴨川のほとりにイグナツ・シュパンツィヒが漂着していたとしよう。それを見つけた弦楽器奏者は、まずシュパンツィヒの呼吸の正常なのを確認して、それからその場で、やはり合奏へと誘うだろう。

同じことをピアニストや管楽器奏者で考えてみよう。スーパーでジャン・ルイ・トゥルーが缶詰を買っているのをフルート奏者が見つけたり、カール・ツェルニーが郵便局で外国に送金している場面にピアニストが遭遇したら、どうするだろう。 “なぜ、弦楽四重奏か” の続きを読む