ブルッフの新作

作曲家マックス・ブルッフは1838年、つまりブラームスより5年後に生まれ1920年、つまりブラームスより23年あとに死んだ。

ドビュッシーが死んだ1918年、80歳のブルッフにベルリン大学から神学と哲学の名誉博士号が贈られた。その授賞式の翌日、ベルリン音楽院の芸術アカデミーにおいてコンサートが催された。その場でブルッフを讃える演説をしたのが音楽院長のヘルマン・クレッチュマルだという。

ヘルマン・クレッチュマルは、言わずと知れたトーマス・マンの「ファウスト博士」に登場するクレッチュマル先生のモデルとされている。 “ブルッフの新作” の続きを読む

交響的時間

ブラームスのチェロソナタ 第2番 op.99を聴く公演に、この作品が交響的だからという理由で「シンフォニック・タイム」というタイトルを付けた。

このチェロソナタの冒頭には、直前に書かれたブラームスの交響曲 第4番の冒頭がまったく違う形であらわれている。 “交響的時間” の続きを読む

故郷に還るドヴォルザーク

全てのものが全ての人のためにあるわけではなく、
全ての人が全てのもののために生きているわけではない。

まさにそうでしかない、このような言葉をドヴォルザークはアメリカを去る直前に、プラハの自分の弟子に書き送っている。

ドヴォルザークがアメリカを去ったのは、彼が故郷を愛するゆえのホームシックからだといわれている。それも、まさにそうなのだろう。

しかし彼にとっての「ホーム」、つまり故郷とは何だったのか。 “故郷に還るドヴォルザーク” の続きを読む

シューマンの最終楽章

クラシック音楽に限らない話かもしれないけれど、作品の立ち位置が不安定だと、なかなかその作品は演奏されないし、よって聴かれる機会も少ない。
でも、立ち位置というのは今よりずっと以前から、いろんな人が果たしてきたことの上に定まって来たものであり、それなしにはいま不動の名作として君臨している楽曲でさえも、不安定で知られないままだったかも知れないと思う。

「知られざる作品」には、様々な可能性が秘められている。 “シューマンの最終楽章” の続きを読む

ヨアヒムの恋、シューマンの喪失

自由Frei しかしAber 孤独Einsam

このモットーがなぜヨーゼフ・ヨアヒムの所有となったのか。
そこから話を始めてみたい。

1849年、ゲヴァントハウス管弦楽団にいた18歳のヨアヒムは、4歳年上のギーゼラ・フォン・アルニムと出会った。ギーゼラはベートーヴェンとゲーテの間を行き来し、そのままロマン派の最深部に溶け込んでいた詩人、かのベッティーナ・フォン・アルニムの娘であった。
ギーゼラはすでにグリム兄弟・弟ヴィルヘルムの息子ヘルマンと約束のあった身であったらしいが、しかしヨアヒムは彼女にいつしか恋をしてしまったらしい。
1852年、Gisソ# – E – La という音型モチーフをあしらった手紙をギーセラに送った。それはいずれF.A.E.というモチーフに取って代わられることになる3音であった。 “ヨアヒムの恋、シューマンの喪失” の続きを読む

シューマンとブラームス 灰になったもの、あとに残されたもの

ロベルト・シューマンの最晩年の室内楽作品
1851年に書かれたヴァイオリンソナタ 第1番と第2番という2つの作品と、1853年に書かれたヴァイオリンソナタ 第3番との間には決定的な違いがある。
その原因は、言わずと知れたことだが、ブラームスとの邂逅がこの間に発生したことである。

すでに1850年にブラームスはシューマンに作品をみてもらおうとして失敗したらしいが、まだ最初のピアノソナタさえも作曲していなかったブラームスが何をシューマンに送りつけて、未開封で戻ってきたのかは不明だ。

1853年9月30日、ブラームスはヨアヒムの紹介状を持ってシューマンを訪れ、シューマンはようやく事の次第に気が付き、 “シューマンとブラームス 灰になったもの、あとに残されたもの” の続きを読む

メルセデス・アンサンブル 発足!

カフェ・モンタージュのシリーズ『シューマンを待ちながら』は「第一期」と設定していたピアノ三重奏曲、ピアノ四重奏曲、ピアノ五重奏曲の3公演を終え、これから始まる「第二期」ではシューマンのデュオから弦楽四重奏まで、シューマン周辺の作曲家の作品を交えたプログラムを予定しています。そこでこちらからひとつの提案を致しました。

「アンサンブルの名前をつけませんか?」 “メルセデス・アンサンブル 発足!” の続きを読む

裏返されたハ短調 – PARTⅡ

「彼女のために存在するのは、私だけでいい」

そのように歌う歌曲『秋に』を、シューマンは18歳の時に作曲しながら発表せず、のちにその旋律をピアノソナタ 第2番の緩徐楽章に写し取った。

1829年、19歳のシューマンは全4楽章からなるハ短調のピアノ四重奏曲を書いていた。その作品はほぼ完成したところで放置され、シューマンはのちに作曲家としてのデビュー作として、同じ1829年に書いたピアノ曲「アベッグ変奏曲」を作品1として出版した。 “裏返されたハ短調 – PARTⅡ” の続きを読む

「全ては終わった」

 

念仏は音楽か。
私はまだ音楽を聴くように、念仏の楽しみを味わったことがない。
でも、ある時まで自分の耳には念仏のように響いていた作品を、いつの間にか音楽として味わうようになったという経験はある。

例えば、ベートーヴェンの後期作品のいくつかは、それを聴けば一段階違う自分になれるとか何とかいう触れ込みで聴いてみたものの、そこに何か意味を見出し、その意味の中において自分は感銘を受けなければいけないのだと言い聞かせ、耳が受けている信号をなんとか解読しようと努力をした5分後にはひどい頭痛と眠気に襲われた。 “「全ては終わった」” の続きを読む

知りたい気持ち

音楽に限らず、何か心惹かれる対象があれば、もっとそのことについて知りたいと思ってしまう。

“音楽”に限らない… まずは”人間”で考えてみよう。
あの人のことを気になるきっかけはなんだったのか… と考えてみる。
たぶん、大手有名商社の勤務で、独身で…と同僚がうわさをしている “知りたい気持ち” の続きを読む