シューマンの最終楽章

クラシック音楽に限らない話かもしれないけれど、作品の立ち位置が不安定だと、なかなかその作品は演奏されないし、よって聴かれる機会も少ない。
でも、立ち位置というのは今よりずっと以前から、いろんな人が果たしてきたことの上に定まって来たものであり、それなしにはいま不動の名作として君臨している楽曲でさえも、不安定で知られないままだったかも知れないと思う。

「知られざる作品」には、様々な可能性が秘められている。 “シューマンの最終楽章” の続きを読む

ヨアヒムの恋、シューマンの喪失

自由Frei しかしAber 孤独Einsam

このモットーがなぜヨーゼフ・ヨアヒムの所有となったのか。
そこから話を始めてみたい。

1849年、ゲヴァントハウス管弦楽団にいた18歳のヨアヒムは、4歳年上のギーゼラ・フォン・アルニムと出会った。ギーゼラはベートーヴェンとゲーテの間を行き来し、そのままロマン派の最深部に溶け込んでいた詩人、かのベッティーナ・フォン・アルニムの娘であった。
ギーゼラはすでにグリム兄弟・弟ヴィルヘルムの息子ヘルマンと約束のあった身であったらしいが、しかしヨアヒムは彼女にいつしか恋をしてしまったらしい。
1852年、Gisソ# – E – La という音型モチーフをあしらった手紙をギーセラに送った。それはいずれF.A.E.というモチーフに取って代わられることになる3音であった。 “ヨアヒムの恋、シューマンの喪失” の続きを読む

シューマンとブラームス 灰になったもの、あとに残されたもの

ロベルト・シューマンの最晩年の室内楽作品
1851年に書かれたヴァイオリンソナタ 第1番と第2番という2つの作品と、1853年に書かれたヴァイオリンソナタ 第3番との間には決定的な違いがある。
その原因は、言わずと知れたことだが、ブラームスとの邂逅がこの間に発生したことである。

すでに1850年にブラームスはシューマンに作品をみてもらおうとして失敗したらしいが、まだ最初のピアノソナタさえも作曲していなかったブラームスが何をシューマンに送りつけて、未開封で戻ってきたのかは不明だ。

1853年9月30日、ブラームスはヨアヒムの紹介状を持ってシューマンを訪れ、シューマンはようやく事の次第に気が付き、 “シューマンとブラームス 灰になったもの、あとに残されたもの” の続きを読む