ウィーンのブラームス チェロソナタ 第1番

ノッテボームというのは大変に偉い人で、ライプツィヒで学んでいたころメンデルスゾーンから見せてもらったベートーヴェンのスケッチ帳に魅了されて、ウィーンに引っ越しをして、まだ誰も手を付けていないベートーヴェンの自筆譜の研究に没頭した。

ベートーヴェンの作曲の過程については、弟子たちがなんとなく語った逸話よりほかに確かなものはなく、アメリカ人のセイヤーが初めての本格的な自伝を執筆していた時期、ノッテボームが始めた研究は今日の自筆譜研究の先駆となるものだった。

ノッテボームはサラミが好きで、いつも決まったお肉屋さんでサラミを切ってもらっていたのだが、ある日、お肉屋さんが渡してくれたサラミの包み紙に何か落書きがしてあるのに気がついた。よく見るとそれは五線譜に書かれた楽譜で、さらに目を凝らすと、どうやらそれはベートーヴェンの筆跡であると気が付いた。でもそれは、これまでに見たことのない作品であった。

ベートーヴェンの知られざる手稿譜の発見…!

ノッテボームは動揺を必死で隠してお肉屋さんを出て、まっさきに友人のもとへ走った。友人は震えるノッテボームが差し出したサラミの包み紙を見て、大笑いした。

ノッテボームから見せてもらったベートーヴェンの手稿譜の書き方をまねて、ベートーヴェン風の一節を五線譜に書き、ノッテボーム行きつけのお肉屋さんに「今度彼が来たらこれを使うように」と渡しておいたのだ、とその友人、ヨハネス・ブラームスは笑いながら白状した。

そのベートーヴェン風のブラームスの手稿譜はそれこそ大変な貴重品だけれど、ブラームスにはそれをプレゼントするだけの恩義をノッテボームから受けていた。

1862年、ウィーンを訪れたブラームスは、そのあとハンブルクに戻ってフィルハーモニーの合唱指揮の仕事に就くはずだったが、フィルハーモニーからその仕事は歌手のシュトックハウゼンに依頼するという知らせが来た。
ブラームスは腹を立てて、もうハンブルクには帰らないと決め、ウィーンに定住することになった。ウィーンでブラームスはノッテボームに出会い、瞬く間に彼らは親友になった。

ブラームスはクララ・シューマンから任されていた、ロベルト・シューマンの遺産を整理する中で見つけた数々の貴重な資料をノッテボームに提供し、ノッテボームは彼のベートーヴェンの研究を始め、貴重なバロック音楽の資料をブラームスに開陳した。ブラームスは見るもの全てを手書きで書き写した。

ブラームスがウィーンに移り住んだ初めに作曲したチェロソナタ 第1番がヘンデルの作風を手本の一つにしていることは、その前の年にピアノのための『ヘンデル変奏曲』を書いていたことにも恐らく関係していて、ブラームスは当時ヘンデル全集を刊行していたドイツ・ヘンデル協会の中心人物フリードリヒ・クリザンダーとも親しい友人であった。

ウィーンに住むことに決めたブラームスは、ひとまずウィーンのジングアカデミーの指揮者の職を得た。チェロソナタ 第1番はその仕事のお世話をしてくれた、ヨーゼフ・ゲンズバッハーに献呈することにした。

ゲンズバッハーは合唱の教育者として定評があったが、同時に優れたチェリストであった。ブラームスがチェロソナタを手に現われたところ、ゲンズバッハーは当然のごとくに「一緒に弾きたい」と言い始めた。

「僕の音が聴こえない」とゲンズバッハーはピアノを弾くブラームスに言った。ブラームスは「それは幸運なことで」と言って、さらに音量を上げた。

ゲンズバッハーとブラームスの友情はその後も長く続き、ゲンズバッハーのつてでブラームスはシューベルトの未発表作品をたくさん見せてもらった。ブラームスはウィーンで着々とコレクションを増やしていった。

ところで、ゲンズバッハーと一緒に演奏した際、チェロソナタはメヌエットで終了する三楽章形式であったという。それなら、例えばヘンデルの同じホ短調のハレソナタ(フルートと通奏低音のための)と重なる部分が出てくる。そう思って聞いてみると、確かに重なって聴こえて来るから不思議だ。

そのあと、ヘンデルのハレソナタの緩徐楽章が、恐らくヘンデル本人による作曲ではないというのは、旧友クリザンダーがブラームスに伝えたのであろうか。3年後、ブラームスはもとの緩徐楽章を省いて、新たなフィナーレが書いてop.38として出版に回した。その最終楽章はヘンデルではなくバッハの『フーガの技法』を主題に採用しているのはどうしたわけだろうか。

『フーガの技法』が展開される中、一瞬だけ、ベートーヴェンのハ長調ピアノソナタの断片がピアノで奏されることにも、この最終楽章の成立を考えるときに重要な点が含まれていると思うけれど、いまはここまでしか書けない…。

以下、ベートーヴェンのピアノソナタ op.2-3の第1楽章から

 

・・・・・

2019年11月26日(火) 20:00開演
「ブラームス&シューマン」
チェロ: 金子鈴太郎
ピアノ: 仲道祐子
https://www.cafe-montage.com/prg/191126.html