「エンヴェロープ弦楽四重奏団」

― 第1回と第2回公演の開催について


プログラムの発表から2週間。
たくさんの方からのご入会のお申込みをいただき、第1回目そして第2回目の公演を、6月中のほぼ同時期に開催できることとなりました。

2公演同時開催という思いがけない幸運を目の前にして、その最初を飾る公演をめぐって一つのアイデアが思い浮かび、出演者の皆様にもご快諾を頂きましたので、本日はそのお話をさせて頂きます。

そのアイデアとは…
第1回目となる公演のプログラムをvol.17にあたるベートーヴェンの「大フーガ」とシベリウスの「親密な声」の回とし、ほぼ日にちを開けずに開催される第2回をvol.1の番号のあるベートーヴェンとブラームスのそれぞれ第1番の弦楽四重奏曲の回とする、というものです。

厳戒態勢で開催される第1回をvol.17のプログラムとしたこと、その2つの作品について少しお話をさせて頂きます。

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2つの作品に共通するテーマ、それは「声」です。

完全に無言の空間で奏でられる「大フーガ」の中で飛び交う、さまざまな声、似ている声、合わさる声、離れていく声、和解の求め、断絶を告げる声… 限りない思いが込められた、限りない数の声をお聴きいただきたいと思いました。

そして「親密な声」- “Voces Intimae”
シベリウスは彼の妻への手紙の中で、”Voces Intimae”は「死の最後の瞬間に、貴女の口元に笑みをもたらすもの。それ以上に語ろうとは思わない。」と書いています。

最後の番号が最初に来るということの意味と、それが特定できない声であること。前代未聞の時代の、前代未聞のシリーズの第1回公演として、是非みなさまにお聴きいただきたいと思いました。

開催日の発表まで、今しばらくお待ちください!


カフェ・モンタージュ 高田伸也


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カフェ・モンタージュの会員制度

カフェ・モンタージュ公演の実現をサポートしていただくための会員制度です。

カフェ・モンタージュ 会員制度の設立

これは、カフェ・モンタージュの新たな公演シリーズを支援していただくための、そして皆様と音楽を共有していくための会員制度です。

まず、結論から申し上げます。

1020人の方から会員お申込みを頂くことができれば、弦楽四重奏の公演シリーズ全17回の開催が決定いたします。

今回の会員制度は、伝説的な音楽プロデューサーであるウォルター・レッグが、1930年に始めた画期的な協会制度に範を求めています。

“「さまざまな作曲家の、比較的ポピュラーでない作品をレコードにする目的で、複数のべつべつの協会を設立して、企画の実現に必要な経費をまかなうのに十分な予約金を前もって募る、というのがレッグの案であった。まず最初に取り上げられたのがフーゴー・ヴォルフの歌曲で、1931年のことである。」”  (ジェラッド『伝説の蓄音機』)

いくら企画を持ち込んでもレコード会社に断られるという中で、制作側と聴き手を直接結ぶしくみをウォルター・レッグは考案したのでしたが、その新たな協会の成功に大きな役割を果たしたのが日本の聴衆であったという記述があります。

“「…ヴォルフの予約は12月には満杯になったが、一つには、日本からの予約者が111人に及んだおかげである。レッグの第二の試みはベートーヴェン・ソナタ協会であったが、ベートーヴェンの主なピアノ曲を全てアルトゥール・シュナーベルの演奏で録音するというもので、この企画は熱狂的な反応で迎えられた。」”(同上)

そうしてこのシリーズは、カザルスのバッハ・チェロ組曲全曲、クライスラーのベートーヴェン・ソナタ全曲、フィッシャーの平均律全曲、ランドフスカのバッハ・ゴルトベルク変奏曲へと続き、今やそれなしには考えられない伝説的な名録音を次々に生み出されていきました。

その大事な第1歩となるヴォルフ歌曲に対して、日本からの会員申し込みが、欧米各国で募集された500人の募集枠の5分の1以上にのぼったということに記述にとても勇気づけられました。そして、彼らがいなければ、どれだけのものがこの世になかったのか、そう考えると果てしない気分に捕らわれます。


これまでに実現しなかったことを実現したい。
これからの古典をテーマにしての全17回、その各回にベートーヴェンの弦楽四重奏のための作品を配置しました。

これら17公演は、全て実際に公演で演奏され、その場にいる人が聴き、そして配信されて多くの会員の耳に届き、その記録として音源が残されます。
これまでにあったことと、もしかしてあり得たことと、まだあり得ないこと、そして、未来のために今があることの証明をしたいと思います。

安全対策の面でも、様々な検討を致しました。果たしてここまでの事が必要なのかどうかと思われるほどの慎重さで、まずは始めたいと思います。
これからのゆっくりとした雪解けや、また予想されている再度の緊急事態にあっても、公演の開催が左右されないためのガイドラインを確立するために、最初にやっておかなければならないことだと思うからです。

安全対策の確立のために、演奏会における入場者数をはじめは少なく設定していますが、予期せぬ余程の急激な変化がない限りは徐々に枠を増やしていけるはずです。そうなれば、もっともっと広い可能性が開かれていくと確信しています。
クーポンのご利用方法も、回を重ねるごとにご利用いただける範囲を増やしていきたいと思います。

スタートを切るのは今しかないと考えました。

まずは1回の公演に必要な60名の会員お申込みを得ることが出来ましたら、第1回の公演を早急に実現の方向に進めます。
第1回はベートーヴェンとブラームスのいずれも第1番。
第2回はまだどの番号の回になるかは決まっておりませんが、スムーズな実現を目指したいと思います。


全公演の実現にはたくさんの方のご入会が必要です。
ご支援のほど、何卒よろしくお願い致します。


高田伸也 カフェ・モンタージュ

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【カフェ・モンタージュの会員制度】


以下の写真をクリックしてご覧ください。

そこに行くべきか それが問題だ

医療崩壊ということが叫ばれています。
それは確かに深刻な問題です。

それは患者が増えすぎることで、必要な医療を受けることが出来ない人が出てきてしまうということのようです。3月の初めの時点で広くその危機感が叫ばれ、私たちが協力することでなんとかしなければと行動にうつしてから、すでに1か月が経ちました。

いま、この問題をもう一段階、深刻に考えてみる必要があるということについて、お話をしたいと思います。

これはまだ誰にでも通じる話ではないかも知れませんが、医療崩壊は患者の激増によっても発生するし、患者の激減によっても発生します。

新型ウィルスは患者を増やしもしていますが、それ以上に急激に減らしもしている可能性があるということに目を向けた人はいると思います。より強い注意を増える方にだけ向けるべきであったのは、まだこの問題が1,2カ月の短期で改善するのではないかという希望があった時期の事です。でも、残念なことにそれはもう過去の事で、現実はその淡い期待、そして恐怖を飛び越えて行きました。

もはや人はその患者の極端な減少にも気を配らなくてはいけない段階、そうした長期的な視野を持たなければいけない時期に来ていると思うのです。

ここは安全ですというメッセージは、全部嘘です。それはもう誰でも知っていることです。でも、必要な病院までもを安易にその危険性の対象にしてしまい、患者が途絶えてしまえば、その病院は消滅します。病院が消滅すれば、医者の成り手がなくなります。そのことが将来どのような結果を齎すか。その危険性について、私たちは考えなくてはいけなくなってしまったのです。

実はここで医療に携わる人たちにお願いしたいことがあるのです。私には病院の知り合いがいないからここに書くしかないのですが、これを読んだ人の知り合いに関係者の人がいればと思って書きます。

お願いしたいこと、それは病院が安全に医療を行っているという体制、それをそれぞれの病院の規模で連帯して形式化して、分かりやすく患者に伝えて欲しいということです。
そうやって努力しても院内感染は起きてしまうというリスクも伝えたうえで、治療が必要であれば診察に来るようにと、患者に向けて強いメッセージを発してほしいのです。

治療を必要としている患者と、そうでない患者をどのように分ければいいのか、その判断をするということが病院というほぼ公共的な仕事の場所では難しいと思います。分け隔てするということ自体が、医療そのものの理念に反するということなのかもしれません。

しかし、いまは病院も自分のことを守ることを考えて欲しいのです。あなたたちが無事であれば、私たちも助かります。病院がなくなってもいいから、自分は無事平穏でいたいなんていう人はいないでしょう。

感染リスクを減らす方法を少々厳しめでもいいのではっきりと示し、そのリスクも分かりやすく示したうえで営業している病院があれば、そこに一定数の患者が足を運ぶのは本当に大事なことです。

病院が示すガイドラインに従って、治療が必要な人が臆せずに通えるような状況にするには、患者の強い協力が欠かせません。いうまでもないことかもしれませんが、私がここで患者というのは、いまは何の症状のないひとのことも含んでいます。

病院は、混みすぎてもいけないし、まったく患者がいない状態でもいけない。どちらも医療崩壊を呼び起こします。医療を守ろうという私たちのメッセージは嘘ではないはずです。だったら、まずは地元の病院を大事にすることです。必要な人が行くという体制を、地元のみんなで維持する努力が必要です。

病院に行けないと困ります。院内感染が発覚するリスクを減らすことと同時に、病院そのものがなくなるリスクも減らして欲しいのです。

しつこいかもしれませんがもう一度。
医療崩壊を起こさないために、患者がまずしなければいけないことは、院内感染のリスクを減らすことに協力することです。必要でなければ行かないという大前提の元に、必要であれば行くという選択肢を残しておくことです。そのために、患者は自分自身の行動を律しなければいけません。

リスクを少しずつ確実に減らす方法を書きます。この方法が、病院が必要なすべての人の共通意識になれば、医療崩壊はしばらく防げると思います。

まず、病院には家から直接行くこと、そして病院から直接家に帰ることです。病院に行く途中で買い物をしたり、外食をしたりしてはいけません。また、病院に着いてすぐ、そして家に帰った時にすぐ、一番に手を洗うことです。これを徹底すれば、かならず少しましになります。寄り道はダメ。それが基本。

病院の中でも、必要以上にうろうろしないこと。先生の言われたことに答える以外、喋らないこと。文庫本を常に持ち歩いて、雑誌があってもさわらないこと。ほかにも、色々あると思いますが、病院が分かりやすいガイドラインをつくってくれていれば、それを丁寧に読んで従えばいいのです。わからないところは質問してもいいですが、筆談の方がいいかもしれません。地元の病院であればメールか電話をしてもいいでしょう。

「危機感」を充分に備えた患者を動かすにあたって、病院で混雑を解消できるかどうか。そこは病院の決意のほどにかかっています。特別な予約のシステムが必要かも知れません。そうだとしても、急病人や予約システムにアクセスできない人のスペースを確保しながら、病院は神経を使って大変な思いをするだろうと思います。そのための協力を惜しまないという患者の存在は、病院にはこれ以上ない助けです。

それでも訪れてしまう患者が絶えず、感染リスクを減らすことが出来ない場合には、病院は表玄関を閉じるでしょう。でも、これまでにもあった経験から言うのですが、かれらは裏口はそっとあけておいて、本当に必要な人に医療を施すでしょう。しかし彼らをそんな窮地に追い込みたいなどと、誰が思うのでしょうか!

病院はいま一番必要です。その他に必要なものは、人それぞれにあると思います。
でも、行くべきところに行くときの基本はひとつだと思っています。
家からそこに直接行き、そこから家に直接帰る。寄り道はダメです。スーパーと床屋さん
に行くには、家→スーパー→家→床屋→家。そして毎回の手洗い。

電車を乗り継いで行かなければいけないところには、なるべく行かないこと。絶対に寄り道をしないという覚悟でなら、どうでしょうか。他の人の意見は頼りになりません、自分で考えなければいけません。
用事はなるべく近所で済ませること。それはいつだって大事なことで、寄り道がダメということは学校で教わったはずですから、それを実践すればいいだけだと思ってください。

飲みにいくにも、家に一度帰ればいいのかと、誰かにきかないとわからないでしょうか?飲み屋さんも人間です!あなたにとって大事なら守りましょう!!とにかく家には一度帰るのです!!!

あなたにとって大事ものは、あなたにしかわからないのは当然のことです。
上に書いた文章の 病院 という文字を、あなたが大事だと思っているものに置き換えてみれば、それがあなたにとって本当に大事かどうかの、少しは判断の基準になるかも知れません。でも過信はしないでください。

肝心なのは、自分が行動するということです。行動とは、他人に頼らず、また他人の行動を非難せずに、自分が行くべきでないところに行かないということであり、行くべきところには万全の態勢で行くということなのです。そうしたあなたの行動は、感染拡大の速度をいまより抑えるでしょうし、医療崩壊を防ぐことにも役立つはずです。私は真剣に言っています。

もう一度言います。メッセージは二つあります。

行かなくていいところに行かないでください。
行くべきところには家から直接行って、直接家に帰ってください。

すでに行動をおこしている人を何人か知っていますが、私はその人たちから大変に大切なことを教わり、勇気づけられました。それは、大事な事とはなにか、そのために何をするべきかを自分で考えて実行するということです。
それが一番の悩みであり、問題なのです。


以上、です!!!

カフェ・モンタージュ 高田伸也

このような最期の言葉

ベートーヴェンは1827年3月26日に死んだ。

作曲家みずからが生前に希望していたからだとか、有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」の中で、死の原因を自分の死後すぐに記録せよと書いていたのに従ったのだとか、色々と言われているが、ともかく、ベートーヴェンは死後すぐに解剖された。 “このような最期の言葉” の続きを読む

禁じられた林檎

音楽に新たな形を持たせること、そのことは禁じられていない。

私たちは禁じられていることを、してはいけない。
いま私たちに禁じられていることとは何か。
それは、自ら他人に必要以上に近寄らないことであり、他人同士を必要以上に近づけないことである。
ルールはもともとそこにあった。ただ、それが禁じられていることを私たちがずっと知らなかったというだけなのだ。

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人間失格

これは本当に自分の身勝手な話で、文字通りに身勝手な話にすぎるので、なかなか周りの人にも相談することの出来ていない話です。

いま、私は人の道から離れたことをしようとしているのかもしれない。
そのような不安から逃れることが出来ずに悩んでいます。
その悩みはある一つの小さな疑問を持ったことから始まりました。 “人間失格” の続きを読む

いま、カフェ・モンタージュの役割

今年に入ってからの新ウィルス問題が、最早ある特定の地域あるいは日本だけでなく世界的な規模に膨らんだ今、公演の開催に向けた意識をまったく新たな段階に移す必要があると考えました。

そのことについて、今から書きます。
その前に、もしこの文章をいまから読もうとされていて、フィクションというものの実在を疑っている方がいらっしゃるとすれば、その方にとってはこの文章が全く意味をなさないかも知れず、読むことがまったく時間の無駄でさえあるかも知れないということを、まずお断りしておきたいと思います。

それでは、書きます。 “いま、カフェ・モンタージュの役割” の続きを読む