作曲家セザール・フランクがどこからやってきたのか。
長い音楽活動の中で、最晩年になってようやく評価されたといわれるこの作曲家の登場までの道のりを探ろうとするのであれば、クラシック音楽史とされるものの流れを根底からひっくり返す覚悟が必要だ。
まずはじめに定義しておかないといけないのは、音楽には音楽が「作られた歴史」と音楽が「聴かれてきた歴史」という二つの歴史があるということだ。
歴史といえば “時計の針をすすめた炎の話:序” の続きを読む
京都の街中の小さな劇場のブログ
作曲家セザール・フランクがどこからやってきたのか。
長い音楽活動の中で、最晩年になってようやく評価されたといわれるこの作曲家の登場までの道のりを探ろうとするのであれば、クラシック音楽史とされるものの流れを根底からひっくり返す覚悟が必要だ。
まずはじめに定義しておかないといけないのは、音楽には音楽が「作られた歴史」と音楽が「聴かれてきた歴史」という二つの歴史があるということだ。
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ルイ・ヴィエルヌはギョーム・ルクーと同じ1870年の生まれ。
幼少より音楽の才能を示し、パリの盲学校に通う中で14歳の時にセザール・フランクに見出され、聴講生として彼の授業に参加しながら、ピアノとヴァイオリンそしてオルガン演奏の勉強を続けた。
フランクのヴァイオリンソナタがどのようにして発生した音楽であったか、これまで考えたことがなかった。考えようがないとも思っていた。しかし、フランクの全作品中でも際立って古典的な佇まいを示しているこのソナタの第4楽章に、突然別の音楽が重なって聴こえたことでそうも言っていられなくなった。 “フランク、ヴァイオリンソナタ” の続きを読む
ギョーム・ルクーの天才について、語る言葉を持っていなかった。
彼の作品の演奏に接する機会はあまりに少なく、夭折の天才という伝説だけが “ギョーム・ルクー” の続きを読む
1822年
セザール・フランクはリストより11年、ワーグナーとヴェルディより “セザール・フランク” の続きを読む