ハイドンとモーツァルトについて考えていた。
1781年の5月、モーツァルトはウィーンに移り住んだ。その年の12月に初演されたハイドンの新しい弦楽四重奏曲はこの二人の作曲家の距離を急激に近づけた。 “ハイドン、モーツァルト、もう一人の自分” の続きを読む
公演のプログラムノート
ハイドンとモーツァルトについて考えていた。
1781年の5月、モーツァルトはウィーンに移り住んだ。その年の12月に初演されたハイドンの新しい弦楽四重奏曲はこの二人の作曲家の距離を急激に近づけた。 “ハイドン、モーツァルト、もう一人の自分” の続きを読む
フェリックス・メンデルスゾーンの祖父は、カントと渡り合った哲人モーゼスであり、その祖父が学問において成し遂げたことを音楽でなさんとする中、38歳で死んでしまった。彼がもう少し生きていれば、変わったのは音楽の歴史ばかりではなかったことを思うと、気が遠くなってくる。 “メンデルスゾーン、ロマン派のはじまり” の続きを読む
“ Ja! ”
「『はい!』っていう返事がそんなに欲しい?」と18歳のクララは訊いた。
「だって、貴方の同意が必要だから」と28歳のロベルトは言った。
「じゃあ…『はい!』」と17歳のクララは簡単に返答した。
1837年8月、28歳のロベルトは有頂天になった。 “ダヴィッド同盟舞曲集” の続きを読む