新しい道への音楽

1875年5月、ジュゼッペ・ヴェルディは歌劇「アイーダ」を指揮するためにウィーンの宮廷歌劇場にいた。その時、オーケストラで第2ヴァイオリンを弾いていたアルトゥル・ニキシュはヴェルディの指揮から強烈な印象を受け、ヴェルディからの指示を細かに書き記していた。のちに陶酔的な身振りでオーケストラと観客を魅了する新しいタイプの指揮者としてデビューしたニキシュの根底にあったのが、ヴェルディから受けた多大なる影響なのだということであった。

ヴェルディとはどのような人間であったのか。それは知らない。

ブラームスは話題がヴェルディに及ぶと、彼を称賛することをいつも惜しまなかった。ブラームスはヴェルディのことを「自分に似ている」とさえ言った。

ヴェルディはイタリアで唯一ダンテと並び称される国民的作家マンゾーニにあこがれ、54歳、すでにオペラの大家として広く知られてもなおマンゾーニを訪ねることを躊躇して、その長編小説『いいなづけ』についてこのように書いている。

私にはあの人に会う勇気があるかどうかわかりません。私があの人をどんなに尊敬しているのか、あなたならわかってくださるでしょう。私たちの時代のもっとも偉大な書物であるばかりでなく、人間の頭脳がうみだした偉大な書物 …それを私が初めて読んだのは16歳の時でした… なにひとつ嘘のない"真実"の書物なのです。芸術家がこの"真実"を理解することさえできれば、もう未来の音楽も過去の音楽もなくなってしまうのです…写実主義も理想主義も、古典主義やロマン主義の区別もなくなってしまいます。

ヴェルディは『運命の力』の中にシューベルトの『アヴェ・マリア』の影響があると言った評論家に、生真面目な反論の手紙を書いた。

私は音楽を全く知らないので、シューベルトを真似るというのはとても難しいことです。このことを軽い冗談とは思わないでください。我が家には楽譜がほとんどなく、図書館や出版社に出向いて作品を調べたこともありません。

常に「古今のあらゆる作曲家の中で一番の物知らず」と自称していたヴェルディは、自宅の図書館に一流の作曲家の作品のみならず、手に入る限りの楽譜を所蔵し、弟子にはハイドン、ベートーヴェンそしてシューベルトの全作品の研究を課題として与えていた。

ここに「ショパンのワルツなど聴いたこともありません」とフランツ・リストに言ってのけたブラームスの語調を重ね合わせてみると、ブラームスがヴェルディに対して常に持っていた、異様に親密な感覚が浮き上がってくるように思われる。1873年、ヴェルディがマンゾーニの死に接して書き、ワーグナーの影響が濃いと一部で非難された『レクイエム』についても、ブラームスは躊躇なく「天才の作」と断定した。

そのヴェルディとブラームスが、同じ1873年にそれぞれ弦楽四重奏曲を書きあげていることは、おそらく単なる偶然に過ぎないだろう。

当時のヨーロッパは、一つの大きな区切りの時期を迎えていた。
1871年1月にヴェルサイユにおいてドイツ帝国の成立が宣言され、その年の5月にはイタリア統一戦争が終結、首都がフィレンツェからローマに遷された。それはワーグナーがバイロイトに居を構えた年であり、日本では廃藩置県が行われた年でもある。
ヨーロッパの各地に社会主義運動の支部が次々と設立されていた。その運動を主導し、イタリア統一運動主導者のガルバルディやマッツィーニを強力に支援した革命家のバクーニンは、かつてドレスデン蜂起の際にワーグナーと行動を共にした朋友であった。
フランスはナポレオン3世の敗北と自国におけるドイツ帝国統一、そしてパリ・コミューンの制圧という屈辱を同時に味わった。
かくして新しい国の形が次々に姿を現し、さまざまなナショナリズムが各地で叫ばれ、ヨーロッパは新しい時代へと突入していた。

1873年3月、主演歌手の急病で歌劇『アイーダ』が上演不能となり、どうにも動きの取れないその時期に、ヴェルディは弦楽四重奏曲を書くことを思いついた。そして4月1日にこの作品だけを初演する会を手配した。誰も招くことはなかったが、その場にはいつも何かと訪ねてくる客の中の7,8人の姿があったという。のちに「この作品が美しいのかそうでないのかわからないけれど、弦楽四重奏曲だということだけはわかっている」とヴェルディは言い残している。

その年の5月にマンゾーニが死に、ヴェルディは『レクイエム』の作曲に着手した。その年の夏にブラームスは長年の間、書いては破棄することを続けていた弦楽四重奏曲 op.51を2曲同時に仕上げた。

翌1874年、『アイーダ』がウィーン初演され、その翌年にはヴェルディ自らが指揮をする形で『アイーダ』がウィーンの宮廷歌劇場で再演された。

この期間中、ブラームスはウィーン楽友協会の合唱団の監督を務めていた。この合唱団の設立にあたった指揮者ヘルベックは、1865年にシューベルトの「未完成」交響曲の蘇演を行い、2年後にはまだ未完成のブラームス『ドイツ・レクイエム』の部分初演を行ったあとで宮廷歌劇場の監督となり、ヴェルディがウィーンに来た時にもその地位にあった。

この期間中、ヴェルディとブラームスが直接会ったという情報は残されていない。



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エンヴェロープ弦楽四重奏団 第3回公演
2020年7月13日(月)  20時開演
https://www.cafe-montage.com/prg/beethoven9.html