バッハのパラドックス

音楽の起源はなんだろうか。
それは音楽が初めて作られたときのことなのか、それとも初めて聴かれた時のことなのか。

例えば、バッハのシャコンヌを人々がいつ初めて聴いたのかなどということは、誰も答えることが出来ない。バッハ自身は、確かにシャコンヌを聴いたといえば聴いたのだろう。しかし、そのシャコンヌは私たちが知っているシャコンヌとは別のものであったかも “バッハのパラドックス” の続きを読む

ニコライ・メトネルのこと

メトネルが1933年にパリで書いた「ラフマニノフ」という雑誌記事がある。これは作曲家ラフマニノフについて語りながら、その実、自分語りをしているのではないかと思われる貴重な文章である。

まず登場するのが「名声」についての辛辣な批評だ。
ラフマニノフ、名声ある人なのだが大丈夫かな…と思っていたら、早々に「ラフマニノフについて論じるのは、彼が著名であるがゆえに難しい」ときた。…やっぱりだ。

でも、そう書いた後で、「でもラフマニノフは本物だから」と必死に言い訳するメトネルの言葉を追いながら、本当にいい人なんだなと思う、これは心温まる文章なので “ニコライ・メトネルのこと” の続きを読む

イザイという響き

これまで、他の作曲家の伝記に登場している姿しか知らなかったウジェーヌ・イザイその人について、これまで一度も集中して調べたことがなかった。

イザイという名前は、旧約聖書を書いた一人とされる預言者の名前の連想からも、ヴァイオリン奏者として神格化されているその姿にとても似合っているように思っていた。しかし、イザイがパリで名を成すまでの足跡を追う中で、この名前がもうひとつ、19世紀末のパリにおいてある象徴的な響きをまとっていたのではないかと “イザイという響き” の続きを読む

裏返されたハ短調

シューマンはハ短調を書かなかった。
滅多に書かなかった、という以上に、書かなかった。

ベートーヴェンの死から2年後に、未完成となったピアノ四重奏曲を書こうとしたあとは、ショパンの死の年である1849年に「ミニョンのレクイエム」、人生最後の数年間でミサ曲をそれぞれハ短調で書いた。
それ以外に目立った作品はない。

シューマンは交響曲の年である1841年に、ハ短調の交響曲を書こうとして、 “裏返されたハ短調” の続きを読む

待ち続ける、シューベルト

1817年、シューベルトは自由になった。
自由になると同時に、作曲しかやることがなくなった。
自由を手に、思い立ったようにシューベルトはピアノソナタをたくさん書きはじめて、そのうちの少なくとも4曲を完成させた。そのころ、ベートーヴェンは「ハンマークラヴィーア・ソナタ」に取り掛かっていた。

生涯の友、ヨゼフ・シュパウンとフランツ・ショーバーは、自由になったシューベルトを我が作曲家として、援助を惜しまないだけでなく、重要な創作のパートナーにもなった。

2月シューベルトが画期的な歌曲「死と乙女」を書くと、その翌月にシュパウンは「若者と死」の詩を、ショーバーは「楽に寄す」の詩を続けて書き、シューベルトはその2つの詩に寄せる音楽を瞬く間に書いた。
いずれもこの世ではないところに連れ去られる歌であり、二人は “待ち続ける、シューベルト” の続きを読む

「私は非常に怒っている」

ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヴァシレフスキというのは、ライプツィヒでメンデルスゾーンやダヴィッド、そしてシューマンのもとで学んだヴァイオリニストで、シューマンが音楽監督としてデュッセルドルフに引っ越した際にコンサートマスターとして呼ばれ、シューマンの死まで傍にいたのち、最初のシューマン伝記となる本を書いた人である。
 
「あの作品を書いたときには、非常に怒っていた」と、シューマンはそのヴァシレフスキに言ったということなのである。
 
それは1951年の9月のこと、シューマンが何に怒っていたかの詳細は不明だ。

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これからの劇場の、これから

1年がたちました。
これからの1年は、これまでの1年とは違います。

2020年3月からの1年間は、事の成り行きが全く見通せない中、まずは活動の幅を制限することに意識をおかざるを得ず、コンサートの数を減らし、それぞれの公演の入場者数も制限することで、カフェ・モンタージュでも総入場者数が前年度に比べて8割減少という数字を実際に見ることとなりました。

あれから1年がたったいま、改めて重要だと感じていることがあり、これからの1年を昨年度の経験を踏まえて、1歩でも多く先に進む1年とするために、カフェ・モンタージュのホームページを刷新し、「カフェ・モンタージュの1時間」というシリーズを復活させることにいたしました。

これから場所を続けていく上で重要だと思っていること。それは “これからの劇場の、これから” の続きを読む

抒情組曲

抒情とは、湧き上がる感情を何かの形で表現すること、もしくは、表現によって何かの感情を湧き上がらせること。

「抒情組曲」はシェーンベルクが提唱した十二音技法を用いて、しかし「非常に調性的特徴をもって書く」ことをモットーに掲げて、アルバン・ベルクが1926年に書き上げた大作である。 “抒情組曲” の続きを読む

シューベルトとリスト 隠れた世界への扉

ブルックナー交響曲第8番は、第23小節目から始めれば「魔王」

そのようなことに気が付き始めたのは、つい最近のことだ。

ブルックナーの魔王は、はじめは遠くにうろうろしている魔王が見えてなんだか「気味が悪い」と思っていたら、いきなり目の前に、思ったよりも大きな姿で現れて連れていかれてしまう。
そしてシューベルトの場合は、いきなり魔王が現れて、連れていかれる。 “シューベルトとリスト 隠れた世界への扉” の続きを読む

ある”厳粛な”友人のこと

ヅメスカルというのはベートーヴェンの友人のことだ。
モーツァルトより3歳若く、ベートーヴェンがウィーンに来た頃から死ぬまで、喧嘩別れもせずずっと近くにいた、数少ない貴重な存在だ。
何かがうまくいったときも、うまくいかなかったときも、ベートーヴェンはよくヅメスカルに手紙を書いた。

チェロをおそらく上手に、でも、シュパンツィヒのカルテットには入れてもらえないくらいの腕で演奏したらしい。跳躍があるたびに音を外したのであろうヅメスカルと一緒に演奏するために、ベートーヴェンは「眼鏡必須の二重奏曲」という曲を書いた。 “ある”厳粛な”友人のこと” の続きを読む