モーツァルト – Episode 5

episode 5

1786年2月19日 仮面舞踏会におけるモーツァルトの謎かけ
「私は奇妙なもので、魂も体もない。人は私を見ることはできないが、聴くことはできる。私はひとりでに存在しているのではない。ひとりの人間だけが、私に好きなだけ命を与えてくれる。私はほんの束の間しか生きられない。生まれた瞬間に死ぬといってもいい。…」

「…時には私がいないほうが良いこともあるが、時には私がいてとてもありがたいことがある。私たちは、人間の快楽のために創られた。ときに何かのはずみに不快をもたらしても、それはやむを得ない。私たちのひとつでもかけていたら、その人は_不完全である。」

1786年9月30日 幼少時のモーツァルト家の下男に、モーツァルトがあてた手紙
「最愛の友よ!わが幼年時代の仲間よ!長年にわたって私はもちろんよく『背中の王国』-Königreich Rücken にいたものだが、君にばったり出逢う喜びはついに味わえなかった。」

1787年4月4日 モーツァルトより父レオポルトへ
「私は常にあらゆることに対して、最悪を想定することに慣れています。死は私たちの人生の最終目標で、私はこの数年来、この真の最上の友とすっかり慣れ親しんでしまいました。_私は、もしかしたら明日はもうこの世にいないかもしれないと考えずに床につくことはありません。」

1787年6月16日 モーツァルトより姉ナンネルへ
「私たちの最愛の父上のまったく予期しない悲しい死を、あなた自身が私に知らせてくれなかったことについて、その理由もすぐに推測できたから、私は全く気にしていませんが…父上の冥福を祈ります!あなたがもし、あなたを愛し守る良き弟を望むなら、安心してください。」

K.526のソナタは1787年8月に「アイネ・クライネ・ナハトムジーク K.525」と、K.547のソナタは1788年7月に「交響曲第40番 ト短調 K.550」と一緒に、モーツァルトの手によって綴られた作品目録に記載されている。

ブラームスがその晩年に「尻尾を噛んだ蛇」と言ったのと同じことを、モーツァルトはK.547において行っている。幼い時から持ち続けていた、従来の形には収まりきらない、いまだ聴かれたことのない楽想を五線譜に書き入れる形式を、モーツァルトは生涯をかけて拡大していった。

音楽が、人の内面を語る様式を獲得したのは、ひとりモーツァルトの所業であった。音楽、さらには芸術一般のモティーフが自由を獲得することと同義であったとするなら、それはいつ終結したのだろう。「背中の王国」では、いまもモーツァルトが旅を続けているのではないだろうか。

 

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2017年9月20日(水) 20:00開演
「W.A.モーツァルト」 ― episode 5 – Wien 1787-88
ヴァイオリン: 上里はな子
ピアノ: 松本和将
http://www.cafe-montage.com/prg/170920.html