ウェーベルン

1966年に出版された著作の中でブーレーズは、ウェーベルンの作品を引き合いに出して語っている。「つまり、その感受性はあまりにも唐突に新しいので、はじめて接すると、知的であるとみなされてしまうのだ。」― この言葉はまずその時代のものとして読まれるべきなのだけれど、もう少し考えてみたい。 “ウェーベルン” の続きを読む

二つの歴史、モーツァルト

モーツァルトの音楽には二つの歴史がある。
一つは、それが作曲者の手によって書かれたことの歴史
そして、それらが世に知られるようになったことの歴史

1775年にミュンヘンで一息に書かれた6つのピアノソナタは、その為にお金を払う人もなく、長らくはまったく知られることのなかった作品であった。第1番から第5番までのソナタが出版されたのはモーツァルトの死後、1799年のこと…その前年にベートーヴェンは「悲愴」ソナタを書いていた。 “二つの歴史、モーツァルト” の続きを読む

モーツァルト、最初のピアノソナタ

なぜ、あの一度の人生があり得たのに、再び、もう一度あの人生があり得ないのか。

誰の教えを乞うこともなく、考えに考え抜いて、遠くに日が昇り始める頃に、すでに使い切った真っ白な頭で眠りにつく。

ノスタルジアは、それを経験した人にとっては、まさにそれが自分の人間であることに気づいた初めであったかのような感覚のことであり、孤独を生涯の友として歩き始めたことの記憶の全てなのだ。 “モーツァルト、最初のピアノソナタ” の続きを読む

ヴェニスに死す

いまさらながらに「ヴェニスに死す」を読んでいる。

この作品は少年愛について語っている。少年とは誰のことか、それが問題である。これをある特定の性癖の描写だとみる人は、もしかしてギリシャの少年愛についても同じように考えたりするのだろうか。別に…それでもいい。

Boy with Thorn
「とげを抜く少年」の横顔を持つ少年をひたすらに追いかける作曲家、アッシェバッハのモデルは、その小説が書かれた年、トーマス・マンがヴェニスに向かって旅する、その出発の直前に死んだ親友グスタフ・マーラーであるとされている。 “ヴェニスに死す” の続きを読む

モーツァルト – 1775年

「音楽が最も高度に完成した場合には、それはゲシュタルト(形態)となり、古代美術に備わっているような穏やかな力によって、私たちに働きかけてくる」とシラーが言ったのは、モーツァルトが死んでから数年後のことである。ゲーテはその完成形態が「ドンジョバンニ」であるとシラーに告げた。

ゲーテは続けて言った。
「ドンジョバンニはまったく孤立した存在です。モーツァルトが死んだために、このようなものが再び生まれてくるという希望は全て虚しいものとなったのです。」
シラーは沈黙した。 “モーツァルト – 1775年” の続きを読む