ブラームス、ピアノソナタ 第3番

夜がやってくる 月が光を帯びて
愛ゆえに 二つの鼓動が重なる
幸福な抱擁の時

…このような詩を、人は恋をしているときに書くのか。それとも、そこからは離れた場所で書くのか。

…どっちだろう。

ブラームスのピアノソナタ第3番は、連続する3曲のピアノソナタのなかでは唯一、ロベルト・シューマンに出会った後に完成された。ブラームスは過去に行われた偉業に自分の作品を投影して、その反射光で自分の作品を照らして、また偉業の壁に投影するという事をこのころから繰り返していた。

モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、リスト、そしてシューマンの光と影が目まぐるしく交錯する中で、ブラームスは聴き手にややこしい謎かけを仕掛けてくる。

例えば、よく指摘される第1番ソナタ冒頭のハンマークラヴィーアソナタとの類似も、幾重にも重なり合うブラームスの謎かけの象徴なのであって、決してそのままに答えを出すわけにはいかない。

そこで、第3番のソナタの強烈な印象を与える冒頭主題の跳躍を見てみる。この斬新な驚きも、何か過去に現れたものの変容であるはずだけれど、答えはすぐ近くには見つからなさそうである。
そのような時にいつも手掛かりとなるのは調性である。この作品はヘ短調で始まりヘ長調で終わる。

シューマンを通過したということでいえば、この作品はリストのピアノソナタを作曲家直々の演奏で聴いたばかりのブラームス(寝ていたらしいが)が取り組んだもので、そこでシューマンを範としてするのであれば、まずはリスト作品の源であるハ長調の幻想曲ということになるであろうか…。

とはいえ、いきなりハ長調の作品に目を向けては可能性が広がりすぎるので、ここはヘ短調にとどまりたい。幻想曲といえばシューベルトが晩年に書いた有名な作品があって、それはヘ短調。こちらから行くのが吉か…ほかにも無いだろうかと思ったら、ずっと以前にもう一つ見つかった。

ところで皆さんはダイム伯爵をご存じだろうか?

ウィーンの将校であったが、決闘をしたことでウィーンにいられなくなり、ミュラーと名前を変えてひとまずオランダに逃げ骨董商となり、ほとぼりが冷めたところでミュラーの名前のままウィーンに帰ってきて蝋人形館を開いた、あのダイム伯爵のことである。

ダイム伯爵の蝋人形館はウィーンの真ん中、ダイム伯爵がオランダで身に着けたワックス技術を駆使して象られた人形が骨董品と一緒にずらりと並ぶ中、名将軍ラウドン男爵を記念した部屋では、ダイム伯爵の選曲による小さな自動オルガンの演奏がある時間ごとに流されて、特に人気を誇っていた。

ダイム伯爵の音楽好きは相当のもので、その自動オルガン演奏のための音楽をなんとモーツァルトに書いてもらうところにまで行きついた。そして生まれたのが「時計のための幻想曲」 ヘ短調 K.608である。楽長モーツァルトによる荘厳な調べが、見事な戦死を遂げたラウドン男爵の蝋人形と奏でる見事なポリフォニー…。

ともかく、この幻想曲はある時間に蝋人形館で流れ続けたが、出版されたのはモーツァルトの死後でピアノ4手連弾版としてであった。

モーツァルトの「時計のための幻想曲」ヘ短調


このシューベルトの幻想曲とも関連も取りざたされている作品が、なんとブラームスのピアノソナタ 第3番の冒頭に変容しているというところですが、ダイム伯爵のお話はまだ少し続きます。

 

さて、ダイム伯爵はその信憑性が大いに疑われているモーツァルトのデスマスクの作者であるともいわれているが、モーツァルトの死後、財力にものを言わせて今度はベートーヴェンにも作曲を頼んだ。ベートーヴェンは、なんと5曲も書いた。

ベートーヴェンが蝋人形のための音楽を書いた1799年、当のベートーヴェンは恋をしていた。その相手はヨゼフィーネといって、その年にウィーンに来たばかり。親にいわれて姉のテレーゼと一緒にベートーヴェンにピアノをレッスンを受け始め、すぐにベートーヴェンに心を奪われてしまった。

ところで、ベートーヴェンはダイム伯爵からモーツァルトの幻想曲の、出版されたピアノ譜ではない原曲の譜面を手に入れて、終生大事に持っていた。ヨゼフィーネはベートーヴェンに思い焦がれ、ベートーヴェンもなんとなくやさしい気持ちになったところで、ヨゼフィーネはなんとダイム伯爵と結婚してしまった。

ベートーヴェンはときどきダイム伯爵の家を訪ね、ときどきヨゼフィーネにも会った。ヨゼフィーネを想って、アンダンテ・ファヴォリという作品を1803年に書いた。翌年、ダイム伯爵がいきなり死んだ。ベートーヴェンは頻繁にダイム伯爵家を訪ねて未亡人を慰め、やがて歌曲集「遥かなる恋人に」が生まれることになる。

「遥かなる恋人に」がヨゼフィーネとの関係を直接的に物語っているかどうかはともかく、ここにはアンダンテ・ファヴォリで繰り返される旋律が引用されていて、シューマンはハ長調幻想曲の第1楽章の終結をこの歌曲集に寄せて書き、最後に鐘を鳴らして終わらせている。

アンダンテ・ファヴォリはヘ長調で書かれていて、もともとはワルトシュタイン公に捧げたハ長調ソナタの第2楽章とするところであったのを、結局は単独で出版したものだ。ところで、その置き換えられた第2楽章もヘ長調で書かれていると思って楽譜を開けると、なんとそこにブラームスの冒頭があるのだ。

なんという極端な形で変容された音楽であろうか。
冒頭のひとつの主題にしてこれである。ブラームスのソナタに込められた物語を、全編にわたって解き明かすことなど、考えただけで気が遠くなってくる。

ブラームスのピアノソナタは若書きの習作云々とある解説を見ることがあるけれど、とんでもない話である。

リストのピアノソナタと時を同じくして、そのジャンルの歴史をほぼ総括してしまう作品をブラームスは書いた。
何人がその後に続くことが出来ただろう。

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2018年7月18日(水) 20:00開演
「J.ブラームス」
ピアノ: 松本和将
http://www.cafe-montage.com/prg/180718.html