メトネルが1933年にパリで書いた「ラフマニノフ」という雑誌記事がある。これは作曲家ラフマニノフについて語りながら、その実、自分語りをしているのではないかと思われる貴重な文章である。
まず登場するのが「名声」についての辛辣な批評だ。
ラフマニノフ、名声ある人なのだが大丈夫かな…と思っていたら、早々に「ラフマニノフについて論じるのは、彼が著名であるがゆえに難しい」ときた。…やっぱりだ。
でも、そう書いた後で、「でもラフマニノフは本物だから」と必死に言い訳するメトネルの言葉を追いながら、本当にいい人なんだなと思う、これは心温まる文章なので “ニコライ・メトネルのこと” の続きを読む
イザイという響き
これまで、他の作曲家の伝記に登場している姿しか知らなかったウジェーヌ・イザイその人について、これまで一度も集中して調べたことがなかった。
イザイという名前は、旧約聖書を書いた一人とされる預言者の名前の連想からも、ヴァイオリン奏者として神格化されているその姿にとても似合っているように思っていた。しかし、イザイがパリで名を成すまでの足跡を追う中で、この名前がもうひとつ、19世紀末のパリにおいてある象徴的な響きをまとっていたのではないかと “イザイという響き” の続きを読む
裏返されたハ短調
シューマンはハ短調を書かなかった。
滅多に書かなかった、という以上に、書かなかった。
ベートーヴェンの死から2年後に、未完成となったピアノ四重奏曲を書こうとしたあとは、ショパンの死の年である1849年に「ミニョンのレクイエム」、人生最後の数年間でミサ曲をそれぞれハ短調で書いた。
それ以外に目立った作品はない。
シューマンは交響曲の年である1841年に、ハ短調の交響曲を書こうとして、 “裏返されたハ短調” の続きを読む