優しい国への旅

フランス人といえば
子供のころの事、テレビで見た数人の、日本語を話すフランス人の印象がほとんどで、間抜けなVTRをみたあとで「私の国ではありえません」「フランスでは、このような行為は軽蔑されます」とか言っていて… そんな暑苦しいフランスという国はイヤだと思っていた。

テレビでは、その番組にあった形と声を持った人が選ばれ、その選ばれた人たちがその番組用に選ばれた言葉を話して…ということを考えない子供からすれば、セボン、確かにフランスは理屈ぽくて、キザで、セボン、そんな人たちが住む国に違いなかった。

でも、もう子供ではなくなって、テレビの中にいるのではないフランス人と出会うようにもなって、でもその人たちは、フランスの場合はどうだからとはいちいち言ってくれなくて、それが物足りないので「フランスではどうなの?」ときいてみても、「知らない」といって笑われる。

フランスでは
と、目の前の日本人に向かって言うのはフランス人ではない。そして、昔テレビで見たフランス人も、日本人が書いた台本を読んでいるのだから、つまり日本人ではないか?ということにも気が付いた。
初めて覚えたフランス語が、なぜセボンなのかは忘れてしまった。

頭の中にいるフランス人を、手洗いから連れ出して、リビングのソファで一緒にテレビを観る。そこにはフランス人が映っている。
その名前を 古本 と同じイントネーションで発音してはいけない。
モレシャン。子供だった自分は、それが面白い名前だとは全く思わなかった。
17世紀のフランスの話をしよう。

優しい国
16世紀の宗教改革は、フランスに前代未聞の戦争をもたらした。
長く続いた戦争の末、すべてを失ったその中で 人々に優雅さを求める。
そのような飛躍を17世紀のフランスにもたらした人がいた。
ランブイエ侯爵夫人である。

優雅さ、誠実さということが第一に意識され、その中における人生の意義を語るランブイエ侯爵夫人のサロンは、洗練を求めるあらゆる貴族や知識人の羨望の的となり、貴族の間では、自宅のサロンにいかにして知識人を招待して、そこに洗練された空気を齎すことができるかを競いあう習慣が生まれた。

ランブイエ侯爵夫人のサロンには、選りすぐりの貴族、知識人が集い、その中にはルイ14世の義妹で小説家のラファイエット夫人や、モリエールに影響を与えたポール・スカロンなどの文豪も含まれていた。ポール・スカロンの妻は、のちにルイ14世の妻となったマントノン侯爵夫人である。

マントノン侯爵夫人の親友にマドレーヌ・ド・スキュデリという人がいた。1607年にノルマンディのル・アーブルで生まれ、舞踏・裁縫・絵画をよくし、兄ジョルジュと共に文学に傾倒してギリシャ語とラテン語を読み、古代史にも通じていた。30歳になった頃、スキュデリ嬢は台本作家としてパリにデビューした。

自作の出版にあたって、はじめは兄ジョルジュの名前を借り、そのあとにはサッフォーという象徴的なペンネームで執筆を続け、有名になったスキュデリ嬢はやがてランブイエ侯爵夫人のサロンに出入りを許されるようになり、後に自ら「土曜会」を開いて次世代サロン文化の重要な担い手となった。

17世紀サロンのプレシオジテの様子を写し取ったスキュデリ嬢は、ブルーストッキング – 青鞜の祖といわれるほどに生涯を文芸に捧げ、長編小説「アルタメーヌ、またはル・グラン・シリュス」は、総語数約200万!プルーストの「失われた時…」の約127万を大きく上回って、歴代で最長の小説とされている。

そのスキュデリ嬢の創作中最も一世を風靡したのが「優しい国の地図」である。その小説「クレリー」の中で、美貌と知識と優雅さを併せ持つ女性クレリーが異性を「一目見ただけで恋に落ちるなんてありえない」と主張して、友情の芽生えから真に心を通わせる関係に至るまでを地図として描いたものである。

尊敬、感謝、そして「自然に相手に惹かれる気持ち」という3つの川、それぞれの3つの町。尊敬の町に辿り着くまでに通らなければいけない才気の村、美しい詩の村、気の利いた手紙の村、甘い手紙の村、勇気の村、その他たくさんの村、むら、むら、行ってはいけないおろそかの村、移り気の村…

 

敵意の海に船を出して戻ってきた者はいない。友情の一線を踏み越えたところにある危険の海、その向こうにある「見知らぬ土地」…主人公クレリーは主張する「この地図は誰にでも見せてはいけない…何も知らない愚かな人が、その頭の愚かさにあわせて、好き勝手に下品な解釈するのはたまらないから…」

しかし「優しい国の地図」はありとあらゆる人の手に行き渡り、あらゆる解釈を生んだ。サロンに出入りする人のまねごとをする滑稽な文化人たちの出現は、モリエールをして辛辣極まりない2つの戯曲を書かせた。特に晩年の戯曲「女学者」は、まさに音楽的といえる無類の美しさを持つ傑作中の傑作である。

ところ変わって、ここは19世紀初頭のドイツ。厳正中立の法律家としてベルリンの大審院判事にまで上り詰め、オペラ「ウンディーネ」を作曲したエルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマンがそれに続いて書いた小説の中に70歳になったスキュデリ嬢が登場し、またしても一世を風靡することになった。

E.T.A.ホフマンの小説「マドモワゼル・ド・スキュデリ」は、ルイ14世の治世下、マントノン夫人の親友として王宮に出入りする老スキュデリ嬢と、宝石の魅力に取りつかれた当代随一の金細工師カルディヤックの数奇な人生が交錯する、のちの推理小説の元祖ともいわれた傑作である。

自らが創造した美の極致である宝飾品を、その依頼主にさえ手渡すことを拒み、独占欲に身をやつして滅んでいくカルディヤックの存在は、美の共有を究極の形で体現していたスキュデリ嬢の目を通して読者を震撼させ、のちにカルディヤック症候群といわれ、ヒンデミットのオペラの題材ともなった。

自らが生み出した美はあくまでも自分の所有。いくら高く評価されようとも絶対に人に渡すわけにはいかない。その作品の素晴らしい演奏を聴くたび「それはあなたのものではない」とこちらを刺すように見返すドビュッシーの顔が見える気がしないだろうか。その同じ眼でメーテルランクはドビュッシーを刺した。

ホフマンの死後、その著作が仏訳され、ホフマンショックともいわれる影響力をフランスに齎した。カルディヤックの存在は、文豪バルザックをして「絶対の探求」のバルタザールを創造させた。バルタザールは、美の象徴である宝石ではなく、美そのものを生み出す元素、その存在を追って化学に没頭した。

全てを生み出すことのできる「絶対」の存在にさかのぼること、それは全ての終わりを意味する。全てを救うことのできる「絶対」の存在の希求が、すべてを滅ぼしてしまうこと。歴史において政治、そして群衆がそれを希求して行動した時の悲劇を 私たちは知らない。

「とまれ お前は美しい」
社会全体に優しさをもたらす「絶対」が存在したところで、その優しさでさえ、ひとところにはとどまらないのである。「絶対」を手にするにはひとつの人生では足りない。かつて人間が存在した全ての時間をひとところに集めたところで、おそらく足りないのである。

スキュデリ嬢が考案した「優しき国の地図」は いかなる理想的な一状態の説明でもなく 移ろいの中でしか生きることのできない人間の存在 繰り返し同じ所へ立ち戻ることの運命を 洗練という唯一の手段を頼りに描こうとした17世紀フランス文化の象徴でもある。

1934年 オーストリアのドルフース首相がナチスに暗殺され、その後の紆余曲折を経てのオーストリア併合へと時代が移り行く中、翌1935年、ガブリエル・ピエルネはスキュデリ嬢の地図をめぐる音楽として、五重奏曲「優しき国への旅」を発表する。

15年前に死んだドビュッシーの同級生で、その世代随一のキャリアを築きあげた老ピエルネは、長く務めたコンセール・コロンヌの総監督および常任指揮者の地位を退いたばかりであった。「優しき国への旅」は1936年にラジオを通じて初演された。翌1937年7月にピエルネは没し、翌月8月にアルベール・ルーセルがその生涯を終え、年末にモーリス・ラヴェルが死んだ。

燃え盛る戦いの火の中で、17世紀フランスのサロンがさし示していた優雅さに思いをはせる時代は過ぎ去ったのだろうか。フランスはいまもテレビの中にある。番組の要望にしたがって、それを見つめる人の眼の中で、火は燃え続けている。

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2018年12月7日(金) 20:00開演
「五重奏」 – Quintet
ハープ:福井麻衣
フルート:瀬尾和紀
ヴァイオリン:瀬﨑明日香
ヴィオラ:小峰航一
チェロ:上森祥平
http://www.cafe-montage.com/debussy/debussy2.html