ブラームスと、若きウェルテル

ウェルテル、と言った覚えはない。

実際、ブラームスは出版社ジムロックにこう書き送った。
「ピストルを押し付けた頭を楽譜の表紙にすればいい。この作品のイメージが湧くだろう?それに使う僕の写真を送るよ!もし色付けしたいと思ったら上着は青でズボンは黄色、乗馬靴を履かせるんだ。」

青と黄色の服を着て自殺すると言えばウェルテルだ!

それが1875年に出版されたピアノ四重奏曲の第3番に関わるエピソードとして、決まって言及されるお話であるが…しかし…ブラームスのこの手の話には常に気を付けなければいけない。

ブラームスによる仄めかしはいつも手が込んでいるけれども、その奥には必ず何かがあって、それがロマン派の詩情に触れる貴重な体験をもたらしてくれるから、探し当てたいと思う。ふと見ると、ウェルテルが玄関に立ってこちらに手招きをしている。

ダーーン。
入るとそこは暗闇である。でも、この暗さは知っている。シューベルトのハ短調の即興曲…
それなら、この後には舞踏の広間に案内されるはずだ。「クララ…」とささやきが聴こえる、突如、急激な下降そして…舞踏ではなく、大行進のリズムが大きく鳴り響いている。
これはエグモントだ。

貴族エグモントとクララの愛、そしてクララを愛する隣人ブラッケンブルクの悲劇を描いたゲーテの戯曲。エグモントは英雄であるがゆえに反逆者として断罪され断頭台に赴き、エグモントを愛するクララは毒薬を半分飲んで息絶え、あと半量の毒薬と死ぬことが出来ず彷徨うブラッケンブルクが残された。

小説ウェルテルにおいて、ウェルテルはその拳銃を愛するロッテから手渡された。それで彼は死ぬことが出来た。しかし、ブラッケンブルクは「一緒に死にたい」という自分の懇願を拒絶したクララが残した毒薬を目の前にして、死ぬことが出来ないのである。

ロマン派の詩情の象徴としてクララが「愛する魂こそ幸い」と歌う”Freudvoll und Leidvoll”にはフランツ・リストが幾度も曲をつけている。ブラームスはそれに応えるように、チェロによる無言歌を第3楽章冒頭に置いた。

そして、第4楽章ではメンデルスゾーンとシューマンがいずれも最後に書いたピアノ三重奏曲のリズムに乗せて、ブラームスは「雨の歌」を歌う。ベートーヴェンがそのままエグモント序曲で運命の動機が繰り返され、ドン・ジョバンニの断末魔の叫びが虚しく響いた後、しかしこの作品は喜劇として終わるのだ。

ブラームスがリストそしてシューマン夫妻と出会ってからの20年、ひとつの集大成として書き上げピアノ四重奏曲 第3番。そこにショパン、メンデルスゾーン、シューベルト、モーツァルト、誰よりもベートーヴェンがどの様な邂逅を果たしているだろうか。

外では、髭を生やしたウェルテルが道行く人に向かって手招きをしている。

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2018年9月17日(月・祝)&18日(火)
「J.ブラームス」
ヴァイオリン: 田村安祐美
ヴィオラ: 丸山緑
チェロ: 佐藤禎
ピアノ: 塩見亮
http://www.cafe-montage.com/prg/18091718.html