言葉を乗り越えて、詩の世界へと

シューマンの第3番を聴くことは、本当に難しい。
この作品の中には、音楽の歴史上最大の難関であるベートーヴェンの第14番が巧妙に組み込まれているのだから。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲 第14番 op.131
その第4楽章に置かれたイ長調の変奏曲がもたらす静かな混乱は、多くの人を目を、生きながらにして真白に塗り変えていった。

シューマンはその変奏曲と同じイ長調で弦楽四重奏曲 第3番を書いた。
第1楽章の第1主題が提示されたすぐあとにさっそく訪れる断絶のモチーフは、音楽一般が「そのままで」理解されることに対する、シューマンの理想の高さを示している。

音楽を「そのままに」聴く事は可能なのだろうか?
モーツァルトはわかりやすく、ベートーヴェンの晩年がわかりにくいというのは本当の事なのだろうか?
時間が切り刻まれ、視点が目まぐるしく変わることで「そのまま」では辿ることの極めて難しい変奏曲の中で、ベートーヴェンが聴き手を導こうとしているのは、あろうことかモーツァルトの世界なのだ。

言葉を越えたところにある音楽の方向へと、まずは言葉で一歩を踏み出そうとした天才は、様々な言葉によって誤解され、「そのまま」に音楽を聴こうとしたために、狂気のレッテルを貼られてしまった。

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音楽にその一生をささげた詩人の作品と共にここまで辿ってきたシリーズの最後に、弦楽四重奏曲 第3番が置かれていることは偶然なのかも知れませんが、運命的なものを感じています。

「シューマンを待ちながら」
いよいよ最終回です。「言葉のない」音楽の導き手であるメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲 第5番、そして音楽における最も高い理想が掲げられたシューマンの弦楽四重奏曲 第3番を聴きながら、シューマンの到来を待ち望みます。

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2023年4月2日(日) & 3日(月)
「R.シューマン」 室内楽全集 VOL.8
 《シリーズ最終回》 弦楽四重奏#3

メルセデス・アンサンブル
https://www.cafe-montage.com/prg/23040203.html

「全ては終わった」

 

念仏は音楽か。
私はまだ音楽を聴くように、念仏の楽しみを味わったことがない。
でも、ある時まで自分の耳には念仏のように響いていた作品を、いつの間にか音楽として味わうようになったという経験はある。

例えば、ベートーヴェンの後期作品のいくつかは、それを聴けば一段階違う自分になれるとか何とかいう触れ込みで聴いてみたものの、そこに何か意味を見出し、その意味の中において自分は感銘を受けなければいけないのだと言い聞かせ、耳が受けている信号をなんとか解読しようと努力をした5分後にはひどい頭痛と眠気に襲われた。 “「全ては終わった」” の続きを読む

あの時の、死の行方

1824年5月のウィーンでウムラウフによる指揮、作曲家の臨席の中、ベートーヴェンの交響曲 第9番 ニ短調の初演が行われた。
翌6月、シューベルトはニ短調の弦楽四重奏曲を書き始めた。

パパゲーノは、首を吊った時に死んだのではなかったか。
ファウストは、メフィストフェレスと契約をした時に死んだのではなかったか。

契約に向かうファウストは言った。
「己の心を人類の心にまで拡大し、 “あの時の、死の行方” の続きを読む

ベートーヴェン モーツァルトとの邂逅

ベートーヴェンは作品1からすごいというのは、ビートルズがPlease please meからすごいというのと同じである。どちらもいわゆるファーストとして知られるものを発表したのは20歳の頃、それまでの活動を通じてすでに完成されていたとすれば、いつの段階で完成されたのだろうか。

ウィーン以前、ベートーヴェンの神童時代…
といっても、モーツァルトやメンデルスゾーンのようにははっきりと認識できていないから、少し整理してみたくなった。

モーツァルトの父はザルツブルグの宮廷作曲家であった。
ベートーヴェンはお祖父さんがボンの宮廷楽長だった。
メンデルスゾーンのお祖父さんはモーゼスだった。

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フェリックスの遍歴時代

モーゼス・メンデルスゾーンがレッシングの思想を代弁する形で、長くほぼ禁書の扱いであったスピノザを復活させたことが、それまで確かにあったと思われた、時代の記憶の多くを消滅させた。スピノザを巡っての論争の末、詩人たちは、神と自然を歌う新たな道を探し始めた。 “フェリックスの遍歴時代” の続きを読む

ブラックスミス、ブゾーニ

謎めいた大作として知られているブゾーニのヴァイオリンソナタは、ひとつにはバッハのコラール、そしてもうひとつにはベートーヴェンのOp.109であるホ長調のピアノソナタに範を求めているのだという。
バッハについては旋律がそのまま作品中に出てくるのけれど、ベートーヴェンについてはその「緩-急-変奏曲」の形式に倣ったとだけあって、とまどってしまう。

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シューベルト、こちらへ

Du mußt es dreimal sagen.
「おはいり」、とファウストは3度言わなければならなかった。
オペラ「ルル」原作の冒頭の長台詞においても、ヴェーデキントは「おはいりなさい」と3度、猛獣使いにいわせている。

ウェーバーの「舞踏への勧誘」でも、大変に長い3度目の「おはいり」のあと、ようやく舞踏会への入口が開かれる。

ベートーヴェンも2度目の脅しつけるような「おはいり」のあと、3度目の「おはいり」が長く、そのまま追っかけ合いの舞踏会に突入する。

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ベートーヴェン、もう一人の自分

ルドルフ大公は1808年にベートーヴェンのピアノの生徒となった。
健康の問題で軍人にはならず僧職の道に進み、後にモーツァルトとの関係で有名なコロレド枢機卿のあとを継ぐことになる大公は、ピアノ演奏において相当の腕前であった。

ベートーヴェンは作曲をして手ごたえのあった作品の献呈先を、時々変更して人を驚かせることがあった。ト長調のピアノ協奏曲 第4番も、その例にもれず、別の貴族にあげると言っていたものを撤回して、ベートーヴェンは愛弟子であり最重要のパトロンともなったルドルフ大公に献呈した。

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