新ヴィーン楽派

物語の拒絶
1910年、アントン・ヴェーベルンはオペラの作曲にも意欲を示していたという。ドレスデンで「薔薇の騎士」、パリでは「火の鳥」が初演され、20世紀の舞台芸術が花開いていたのと同じ時に、登場人物が何人か登場するだけで、まったく物語が展開しないオペラの実現を夢見ていた。

ウィーンとは何か。
物事が一つ方向に進むことなく、ひとつの潮流に対して必ず対流が生まれ、その狭間においてその短い命のほとんどが磨滅する中で、いくつかの永遠を経験して来た街。ウィーンが生み出した芸術と同じだけ、ウィーンを生み出した芸術がある。

1862年
ブラームスは、芸術家のほとんどがその若き日に憧れのウィーンを目指したのとは違って、自身の実力がもう何にも脅かされない強さを獲得してから初めてウィーンを訪れ、その後何年もかけて段々に移り住み、世紀末にかけてウィーンという街のすべてを塗り替えてしまう。

ブラームスがあちらからゆっくりと歩いてくる。
本当かと思って目をしばたいていると、歩いてくるのはワーグナーだということがわかる。でも、髪の毛がリストのように長い、と思ったらリストがそこに座り込んでしまった。ショパンを待っているのだという。果たして…ショパンはもう隣りに座っている。

新ヴィーン楽派の音楽が、何の影響を基に作られたものかということは、すでに言い表すことができない。3人の天才が、どの国のいつの時期の音楽を参照していたか。ウィーンという街にいながら、いかなる国へも、いかなる時代にも、彼らは出かけて行った。

メンデルスゾーン、シューマン、ショパンとリストがシューベルトを共有したように、ウィーンの3人の天才は頭を一つところにあわせて、その日に訪れる時代と場所を選び出し、そこにひらかれた絵画とキャンバスの間にあるものを調べ尽くした。

長いトリルの始まりとともに、ベートーヴェンが永遠と思われた眠りから目を覚まし、音楽は顔を明らかにすることなく展開し始める。やがてピエロが現れて、ショパンのワルツを踊り出す。そして、シューベルトの「最後の希望」が鳴り響くとき、メルヒェンの時代は終わりを告げるのである。

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2017年6月19日(月) 20:00開演
「新ヴィーン楽派」
ピアノ:山田剛史
http://www.cafe-montage.com/prg/170619.html