もうひとつのフィクション


WARという言葉がある。これは日本語では戦争と訳されている。

はじめに、言葉の定義をしておきたい。
WARというのは、ただひとつの、ほかには置き換えることのできない言葉だ。
でも、頭のなかで、WARがなぜか他の言葉に置き換えられてしまうことがある。

その言葉の一つにBattleがある。これは日本語では戦闘と訳されている。

WARとBattleは違う。でも、自分が「WARにはしたくない」とか「WARには反対だ」という時、自分の頭の中にBattleの映像が映ることがあって、それを避けるべきであると主張していることがあるのだけれど、それは間違っている。私はまだその言葉を理解していなかったのだ。

3日前、ヨーロッパでは1000人以上の集会が禁止だとされた。
それに皆は従うことにした。ある国はそれを確認した。
今日、ヨーロッパでは100人以上の集会が禁止だとされた。
数が少し違うけれど、皆はそれに従うことにした。ある国はいまそれを確認しようとしている。
それなら、と、他のある国は言い出した「うちの国では19時以降の外出は禁止だ」。
その国の人たちは皆それに従った。

WARとは、Battleのことではない。そこにBattleがなくても、人はWARを体験する。しかし、WARはいつでも、その時代の人が経験したことのないものだ。

WARの一番の特徴は、Battleで人が死ぬことではない。
Battleが起きて人が死ぬのはWARにおいてだけではないし、そもそもすべてのWARがBattleを含んでいたわけではない。

WARの一番の特徴は何か、それは人間性が消滅することである。
だから、WARは人類にとって最悪の出来事である。

人間性の消滅とはなにか。
誰もが等しく誰かに人質を取られ、人質を裏切ることを皆が社会の悪と定め、人質を守ることだけが自分の存在を担保しているのだと誰もが信じるに至った時、人間性は消滅しWARが発生する。

WARには目的がない。
WORLD WARが、誰が何の目的をもって行われていたことか、指摘できる人がいるとは思わない。
あれがまだWARでなかったとき、人は死人をださないことをまだ大事に思っていた。
でもWARにいたっては、死人の数は一番の問題ではなくなっていた。
だからあれほどの数の人が死んだ。
WARは目的をともなわない。
あれはただの人間性の消滅であった。

新型ウィルスについて、これはPANDEMICではないかと誰もが噂をし、しかしまだそうではないという見方もあるなかで、WHOはPANDEMICを宣言した。

まだ私たちは、死人がでないようにという気持ちを失っていない。
でも、このままだと私たちは死人の数を数えなくなってしまうのではないだろうか。

夜のバーが閉じられて、つぎに昼のカフェが閉じられて、10人以上の集会が禁じられる。その先にあるのがWARである。そのことは誰でも知っている。
いまはまだWARではない。でも、スーパーマーケットの空になった棚を見上げて、これはすでにWARではないかという噂は流れ始めている。
私はまだWARを宣告されたくない。
私はいま泣いているけれど、人間性の消滅と共に、私はこの涙ともお別れをしなくてはいけない。
私が人間でなくなったのならば、たしかに感情など、私にはもう関係のないことだ。
たくさんの人がこの世からいなくなってしまう。死人の数を数えることなく、涙のなくなった世の中を、私はこれからも生きていくだろう。

私はまだWARをみたくない。