カルメン、幻想と夜の歌

果たして、自分はカルメンの物語を知っていただろうか。
ロームシアターでの小澤征爾音楽塾公演の「カルメン」を観て、
これまで自分は知らなかったのだと思った。

カルメンを観たのは、初めてではない。
2000年にウィーン国立歌劇場で、ド・ビリーの指揮。
カルメンはアグネス・バルツァだった。
BS放送で見たのと同じ人がカルメンを歌っている… というだけで胸がいっぱいになり、カルメンが登場した瞬間から圧倒的な熱量を受け続けた強烈な思い出ではあるけれども、作品に関しては、カルメンのお話は知っている…、音楽も有名、とだけ思っていた。

でも今回、自分は知らなかったものを観てしまった。

カルメンとは誰なのか。
ドン・ホセとは誰なのか。

前奏曲が始まった。途中、舞台が開けてこちらを向いた誰かが張り付けられて、処刑された。ドン・ホセ…死んだ?と思う間に、前奏曲が終わって場面が転換した。
そこからの舞台は自分が知っている、オーソドックスなカルメンのものだった。
ただ、照明のせいなのか少し遠近感が慣れない感じで、舞台の上の熱量がこちらにあまり迫って来ない。もともと第1幕は人物紹介に時間の多くを割くのでドラマの進行に乏しく、有名なハバネラを歌う歌手の熱量に頼る面があるけれど、それが足りないという事でもない…。

音は、なんだか懐かしい気がするから自分は好きだと思った。
ロームシアターのオーケストラピットの音は初めて聴いたけれど、残響が少なく、ヨーロッパのあまり大きくない歌劇場、例えばチューリッヒの歌劇場もそう、言葉と同時にそこにまさに音楽が息づいている様子が感じられて、オペラの上演にはこれ以上ない音響ではないだろうか。

第2幕からはドラマが動いて技巧的なアンサンブルもあったりで、大変にオーソドックスな演出、でもなんとなくシュールな舞台転換があったり、ミカエラの服装がドン・ホセの幼馴染にしてはちょっと煌めいていて、これはちょっと違う解釈なのかもと思ったりして、とても楽しく観ていた。マイスタージンガーの「朝はバラ色に」といつも間違えてしまう「花の歌」を歌うドン・ホセがときどき「ペレアス」のゴローを感じさせて、それは多分ドビュッシーが取り入れた音響がそこにあるからだと思うと不思議な気分になるから、ビゼーの音楽はやっぱり革命的なのではないかとも思った。第3幕の占いの場面も素晴らしく、ここまでくると完全に舞台にひきこまれてしまっていた。

そして第4幕、なんだか雰囲気が違う。闘牛士を迎える雑踏の中、娯楽の極致のような場面は楽しいままだけれど、なんとなく空気が緊張しているのだ。神話めいているといってもいいかもしれない。けれど、その感覚がどこから来るのか分からなかった。

このあといわゆる修羅場の場面があるのを知っているからといっても、覚えがないその感覚には何か意味があるように思った。ドン・ホセが柱に張り付いている様子がおかしくて、これは笑ってもよいのだろうかと思った瞬間、カルメンとドン・ホセを残して人がいなくなり、すべての大扉がとじられた。
気が付くと、そこは円形劇場の中だっだ。

つまり…カルメンとドン・ホセは、闘牛場の中にいる。
闘牛で盛り上がる歓声が、遠くから聞こえてくる。
カルメンとドン・ホセの戦いがはじまる。
カルメンは一撃を受けてうつぶせに倒れ、息絶えた。
そのとたん、 どこからともなく兵士たちが列をなして入ってきて銃をかまえた。
これは一番最初のシーンを裏返したものだ… ドン・ホセは向こうを向いて立ち尽くし、銃口はこちらを向く …
人間がその場に倒れ、息絶えた。
舞台上を照らす白い光の速度を、何かが超えてこちらに迫ってきた。これまで目の前に展開されていたカルメンという作品が、頭のなかで急激に巻き戻されいった。
自分が観ていたものは、幻想だったのだ。でも誰の…?

カルメンがいわばフロイト以降の近代心理ドラマとして読み取ることの出来る文学作品 だということを、これまで自分は知らなかった。
最後と冒頭の処刑シーンが結びつくことによって、これまで物語の筋を運んできた全ての存在の虚構性が一気にあらわになり、一見オーソドックスな演出だからと完全に油断をして観ていただけに、大きなショックを受けてしまった。
そして、そのショックはビゼーが作曲した音楽にも関係して、あとから思い返すと恐ろしい思いばかりが頭に思い浮かんで、観てしまった側の想像は果てしなく広がってしまう。
それは音楽体験とも文学体験とも、まさしく劇場でしか起こり得ない、かけがえのない体験だった。

フロイト?
ドン・ホセが幻想上の存在であることは途中で明らかになっていたはずなのだけれど、それはオペラの上演を観るという立場をとる観客には知らされないので、知っているはずのカルメンの物語を自分も最後まで疑うことなく観ていた。
第3幕の占いの場面、自分の為に都合よく死んでくれる男を最上のものとした後に、殺してくれる男がいる、という至上の愛に震えるカルメンの姿は、そのあとに登場するミカエラが何を告げに来たかということと、ミカエラとドン・ホセが会いに行ったのは誰なのかということと考え併せて、そこに示された暗示を幻想的に描いていたのだと、いまになって思う。
もっといえば、全てが幻想だったのだ。

1875年。
ビゼーは、このオペラ「カルメン」がウィーンで上演されるためのドイツ語改訂版を作る、その準備の間に死んだという。そして、パリでは不成功に終わっていたこの作品が、ウィーンではすぐに大人気となった。
それはどういうことなのだろうか。
確実に言えるのは、このオペラがビゼーの死後のかなり早い段階で、5年前に「マイスタージンガー」が初演されたばかりの、まだ「トリスタン」も「指輪」も上演されていないウィーンの街の一部となった事。
その前年にシュトラウスの「こうもり」の初演があった事。
「こうもり」冒頭のアルフレートのセレナーデと「カルメン」第2幕のドン・ホセ登場のシーンが入れ替え可能なこと。
その翌年に交響曲第1番を初演したブラームスがこの作品を重要視したこと。
ブラームスの生前、カルメンはウィーンで175回も上演された、ということ。

カルメンを金曜日に観たばかりで、その興奮をまだ整理がしきれない中、日曜日には京響定期があった。

マーラーの交響曲第7番「夜の歌」
ぎりぎりにコンサートホールについて、やれやれと座席に座ってブックレットを開くと「この曲は人気がない」と書いてある。それが「夜の歌」という題名のせいではないか、まで読んだところで拍手が始まったから、ブックレットを閉じて鞄にしまった。

ファンファーレ、ファンファーレだ。美しい。
シューベルトのイ長調ソナタの冒頭が顔をのぞかせる。やっぱりウィーンだ。
と、聴いているうちに、時々妙な幻影が往来するようになった。
一昨日の金曜日に聴いたカルメンが、頭をかすめるのだ。
そうか、ウィーンだし…と思ったか思わなかったか、突然カチャッ-カチャッとコル・レーニヨの音が響いた。
「幻想?」

目の前では「夜の歌」の真っ最中だけれど、カルメンと幻想交響曲に音楽上の繋がりがあるのは不思議ではない。でも文学の方面でも繋がっているのだとすれば、あのロームシアターで観たカルメンはやはりその形をしていたのだった。

最終楽章、やっぱりファンファーレだ美しい。
これはアルペジオーネソナタ…?そして、まぎれもない闘牛士の歌!
やっぱり自分はまだロームシアターにいるのだろうか。
幻想交響曲は1830年、ファウスト第2部が出版される以前に書かれた。
マーラーは交響曲第8番でファウスト第2部を取り上げていたのだとすれば、いま目の前で展開されている交響曲第7番は、ファウスト第1部ということではないか。マンドリンの硬質な響きとともに歩く。
Ein walpurgische …Nachtmusik.

調べてみれば、グスタフ・マーラーはウィーンの宮廷オペラ座の監督時代に、カルメンを85回も振っている。

頭の中でマーラーのファンファーレが全開で鳴り響く中に、闘牛士が仁王立ちしているし、 カウベルが鳴り響く中に、アヘン中毒者がどうやっても迷い込んでくるし、トレアドールが叫ばれる中、もしかしてドン・ホセが来ていないかとカルメンが空を見つめている。

マーラーの交響曲 第7番は大変な作品だ。
人気がないというけれど、これが人気あったらみんなの人生大変…
だけど、その中を生きる甲斐はありそうだ。
マーラーの音楽は鏡のようで、それを聴くものがどこからやってきたのか、その光と影を乱反射させた投影を、こちらに投げかけてくる。

凄まじい体験をした後、ブックレットを鞄から出して読んでみたら、そこにはバッハと書いてある。自分は地下鉄を降りて歩き出した。
京都はこんなに小さな街なのに、こうしてマーラーを聴いていた間も、ロームシアターではドン・ホセが花を握りしめていたのだ…。

小澤征爾音楽塾のカルメンは、このあと神奈川と東京でも上演があるとのことです。
京響はもういつも素晴らしいので、チャンスがある限り聴いておかないと損なのです。

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2019年3月15日(金)&17日(日)
小澤征爾音楽塾「カルメン」
https://ozawa-musicacademy.com/program

2019年3月16日(土)&17日(日)
京都交響楽団 第632回定期演奏会
https://www.kyoto-symphony.jp/concert/?y=2019&m=3#id713

2019年4月20日(土)
ロームミュージックフェスティバル – オーケストラコンサート I
https://micro.rohm.com/jp/rmf/activity/rmfes/2019/detail0420.html
京響の「幻想交響曲」がロームシアターで聴けます。