これからの劇場の、これから

1年がたちました。
これからの1年は、これまでの1年とは違います。

2020年3月からの1年間は、事の成り行きが全く見通せない中、まずは活動の幅を制限することに意識をおかざるを得ず、コンサートの数を減らし、それぞれの公演の入場者数も制限することで、カフェ・モンタージュでも総入場者数が前年度に比べて8割減少という数字を実際に見ることとなりました。

あれから1年がたったいま、改めて重要だと感じていることがあり、これからの1年を昨年度の経験を踏まえて、1歩でも多く先に進む1年とするために、カフェ・モンタージュのホームページを刷新し、「カフェ・モンタージュの1時間」というシリーズを復活させることにいたしました。

これから場所を続けていく上で重要だと思っていること。
それは制限ではなく、様式だということです。

人が行動を止めてしまえば、安全に対する意識も止まってしまいます。
そのことは、感染者数が増えて行動制限をするたびに、そのあとでさらに感染者数が増えるという状況を何度も経験してわかってきたことではないかと思います。それもはじめは医療体制を崩壊させないために増加のスピードを遅らせる、という意味において成功していたのではないかとも信じていたのですが、どうやらスピードを遅らせるだけでは医療体制の不足は解消されないということが、いまでは明らかになったようなのです。変異株など、新たな要素も加わって、制限をするのであれば、これまでより一層厳しくする必要がいよいよ出てきたというわけです。

動かなければ、何も身につかない。よほど優秀な人は違うかもしれませんが、勝つ方法はもちろん、怪我をしないために逃げる方法も、体を実際に動かさなければ大抵のことは身につかないということは、小学校の球技などをとおしてもさんざん教わったことです。

人が能動的に動くことで、ウィルスが伝染する以上に、安全が伝わっていけばいい。そうするためには、これまでの1年のように、感染の増大と行動の制限を繰り返すのではなく、行動の増大と感染の制限の両方を見出す街づくりを意識していかなければいけません。感染がごく一部の出来事である、いまならまだ間に合うのではないでしょうか。これが、どこに行っても周りに咳き込んでいる人が絶えないという状況になったら、もう本当に家から出られなくなります。
まだ何も終わっていないのです。これから新しく始めるしかありません。

昨年の4月に決意したことは、何をしてはいけないかを知ることではなく、何をしたいのかを始めにはっきりさせることでした。

何よりも、音楽を集中して聴いていただくこと。
あとにもさきにも、それがカフェ・モンタージュのモットーです。
そのためには安全と同じだけ、安心が必要だと考えました。

5月から会員制度を開始し、まずは定員10名と設定してエンヴェロープ弦楽四重奏団による第1回公演を6月に開催しました。

・会場内でのマスク着用
・入場後、お手洗いで手指の石鹸洗浄
・会場内では私語厳禁

基本的に上記の3つのことを守っていただくというだけのこと、音楽会を成立させるために皆様が集まってくださる場所において、出来ないという事はないはずと信じての決意でした。

段々に定員数を増やしていき、会場内での様式の定着を図っていくという気の長い作業を通して、この3月には定員35名というところまで辿り着きました。その間、場所の空気を常に一定に保つことが出来たのは、ひとえにお客様たちの熱意によるものです。

人の流れの中で感染経路を積極的に断ち切る場所がある。そればかりでもだめかもしれませんが、これからの1年はそのような場所がもっと必要になってくると考えています。

これからの1年を想定して、カフェ・モンタージュでは4月からの公演数を増やし、それぞれの定員を40名に設定しました。
20名定員の時のように、四方に人一人以上の席間隔があるわけではありませんが、お互いの肩が触れ合うようなことはなく、お一人ずつの場所は確保されると考えての定員数です。

昨年の今頃は、いわば避難場所を作ることからはじめました。
いくら数が減っても、感染力が弱まらない限りは、また同じだけ感染していく。数を減らすのではなく、数を増やさないという意識がこれまで以上に必要だと考えています。

これからは避難場所ではなく、訓練の場所。その様式。
その中で、音楽との運命的な出会いを引き起こす劇場を作っていく。
カフェ・モンタージュは「カフェ・モンタージュでの1時間」そして「おひとり様のための音楽喫茶室」という二つの大きなメニューをご用意して、皆様のお越しをお待ちすることにいたしました。

基本は手洗いと静けさ、そして音楽です。

我慢だけでは得ることの出来ないもの。これからは、楽しみと安全を両立させる方法を1人でも多くの方と一緒に共有していきたいと思います。



カフェ・モンタージュ 高田伸也

そこに行くべきか それが問題だ

医療崩壊ということが叫ばれています。
それは確かに深刻な問題です。

それは患者が増えすぎることで、必要な医療を受けることが出来ない人が出てきてしまうということのようです。3月の初めの時点で広くその危機感が叫ばれ、私たちが協力することでなんとかしなければと行動にうつしてから、すでに1か月が経ちました。

いま、この問題をもう一段階、深刻に考えてみる必要があるということについて、お話をしたいと思います。

これはまだ誰にでも通じる話ではないかも知れませんが、医療崩壊は患者の激増によっても発生するし、患者の激減によっても発生します。 “そこに行くべきか それが問題だ” の続きを読む

このような最期の言葉

ベートーヴェンは1827年3月26日に死んだ。

作曲家みずからが生前に希望していたからだとか、有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」の中で、死の原因を自分の死後すぐに記録せよと書いていたのに従ったのだとか、色々と言われているが、ともかく、ベートーヴェンは死後すぐに解剖された。 “このような最期の言葉” の続きを読む

禁じられた林檎

音楽に新たな形を持たせること、そのことは禁じられていない。

私たちは禁じられていることを、してはいけない。
いま私たちに禁じられていることとは何か。
それは、自ら他人に必要以上に近寄らないことであり、他人同士を必要以上に近づけないことである。
ルールはもともとそこにあった。ただ、それが禁じられていることを私たちがずっと知らなかったというだけなのだ。

“禁じられた林檎” の続きを読む

人間失格

これは本当に自分の身勝手な話で、文字通りに身勝手な話にすぎるので、なかなか周りの人にも相談することの出来ていない話です。

いま、私は人の道から離れたことをしようとしているのかもしれない。
そのような不安から逃れることが出来ずに悩んでいます。
その悩みはある一つの小さな疑問を持ったことから始まりました。 “人間失格” の続きを読む

いま、カフェ・モンタージュの役割

今年に入ってからの新ウィルス問題が、最早ある特定の地域あるいは日本だけでなく世界的な規模に膨らんだ今、公演の開催に向けた意識をまったく新たな段階に移す必要があると考えました。

そのことについて、今から書きます。
その前に、もしこの文章をいまから読もうとされていて、フィクションというものの実在を疑っている方がいらっしゃるとすれば、その方にとってはこの文章が全く意味をなさないかも知れず、読むことがまったく時間の無駄でさえあるかも知れないということを、まずお断りしておきたいと思います。

それでは、書きます。 “いま、カフェ・モンタージュの役割” の続きを読む