ラヴェル、スカボロー・フェア

ドビュッシーはクローシュ-Croche氏というペンネームで評論を書いていたのだが、その活動の重要性を強調するルイ・ラロワに対して、「何も聞いていない人に向かって話して、それが何になるだろう」と書き送っていた。ラロワはのちにドビュッシーの評伝を初めて書いた人物である。

「言うべきことは確かにある。でも音楽が、隣人よりも声高に話す人々が作った小さな共和国のそれぞれに分かれている中で、誰に対してものを言えばいいのだろう。ベートーヴェンとラヴェルの間を行き来している人に!天才という、愚かでバカバカしい役回りを引き受ける人間はもういなくなった。」(10.Mar.1906 – Debussy to Laloy)

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終りの音楽

永遠に続く 永遠に終わらない いつか終わる
絵画は平面 もしくは平面に近いものに固定され 永遠にそこにあって いつか終わる
過去は どこに固定されているのか 永遠に保存されて いつか終わる
不滅は いつか死に絶える

ある時 例えば髪の毛を洗った後 タオルで頭を無茶苦茶にしている最中に すべての疑問が一つの問いに集約されて その問題が解けた と確信することがある。しかし、自分の人生がそこで終わってしまうことに対する抵抗と怠惰を覚えて やがてすべてを忘れてしまう。

起きながらに夢を見ることがあるかといえば そんなことはしょっちゅうある。目を開きながら見る夢の中でひらめいた良い考えを そのまま発話して目の前の人に伝えようとすると とんでもないことになる。そのような言葉 人に知られずに消えてゆく言葉を 今は書き綴っておきたいと思った。

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事象の地平線、時間の終り

ブラックホールの撮影に成功した、ということであった。
そこには「事象の地平線」という、極端に詩的な、ひとつの言葉が置かれていた。

27歳で戦死した詩人ミルモンの遺作による歌曲集『幻想の水平線』を思い出した。フォーレの最晩年、1921年の作品である。

船がすべて出払った港に、一人たたずむ詩人の叫び。
「私にお前たちの魂を繋ぎとめることは出来ない。
お前たちには私の知らない、はるか遠い世界が必要なのだ。」

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ブラックスミス、ブゾーニ

謎めいた大作として知られているブゾーニのヴァイオリンソナタは、ひとつにはバッハのコラール、そしてもうひとつにはベートーヴェンのOp.109であるホ長調のピアノソナタに範を求めているのだという。
バッハについては旋律がそのまま作品中に出てくるのけれど、ベートーヴェンについてはその「緩-急-変奏曲」の形式に倣ったとだけあって、とまどってしまう。

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シューベルト、こちらへ

Du mußt es dreimal sagen.
「おはいり」、とファウストは3度言わなければならなかった。
オペラ「ルル」原作の冒頭の長台詞においても、ヴェーデキントは「おはいりなさい」と3度、猛獣使いにいわせている。

ウェーバーの「舞踏への勧誘」でも、大変に長い3度目の「おはいり」のあと、ようやく舞踏会への入口が開かれる。

ベートーヴェンも2度目の脅しつけるような「おはいり」のあと、3度目の「おはいり」が長く、そのまま追っかけ合いの舞踏会に突入する。

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ショスタコーヴィチ、現代

「盟友のヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフの60歳の誕生日のために書き始めた協奏曲が思ったよりも早く完成してしまい、59歳の誕生日プレゼントとなってしまった。」

そこで、急遽60歳の誕生日に向けて筆を走らせて書かれたという、ショスタコーヴィチのヴァイオリンソナタについて。

時はフルシチョフ失脚後のロシア、冷戦の緊張下で世界の地図が書きかえられていく中で起きた「プラハの春」そしてロシア軍のプラハ侵攻、まさにその年に書き上げられたヴァイオリンソナタと弦楽四重奏曲第12番、そして翌年に発表され、盟友ブリテンに捧げられた交響曲第14番は、いずれも十二音技法を一つの暗示として配置している。

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ブリテン、現代

ある人からは、前衛的に過ぎる、といわれ
あるひとからは、保守的ではないか、といわれる
ドミトリ・ショスタコーヴィチとベンジャミン・ブリテンについて、何か書くことが出来ないだろうと思う中で、ある種の定義はその対象を置き換えることで、いつでも成立するものだと了解した。

バルトークは、保守的ではなかったか。
ブーレーズは、実は保守的ではなかったか。
シュトックハウゼンは、さては保守的だったのではないだろうか。
ケージは、やはり保守的であったかもしれない。

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遠い人、テレマン

遠い-人 Tele-mann
テレマンはいつも遠くにいて、でもいつも見えるところにいる。忘れられたことがない。つまり、テレマンが「忘れられた作曲家」であったことはない。いつも見えているから、発見されたことがない。

20歳のテレマンは法律学生としてライプツィヒに行く途中で、16歳のヘンデルと邂逅、ライプツィヒに着いた後は聖トーマス教会にカンタータを提供する一方、当時まだ小屋という規模であった劇場でオペラを上演し、市民や学生と共にコレギウム・ムジクムを主導、のちにバッハが受け継ぐべき基礎を作った。

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メンデルスゾーン・バルトルディ

散策し、山に登るというロマン派の象徴を舞台にした「二百十日」という短編を漱石が書いている。温泉宿にて、かみ合う必要のない会話に終始し何の事件も起こらないまま、時間が来て山に登りはじめるものの、その日がちょうど二百十日の嵐にあたっていて、結局山に登ることが出来ず、また登ろうか…そんな話。

今日はフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディの210年目の誕生日だという。
さまざまな音楽を聴く中で、人が拠り所としているものの大部分を作り上げた、この天才について、聴き手として何か言うべきことはないのか。

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