故郷に還るドヴォルザーク

全てのものが全ての人のためにあるわけではなく、
全ての人が全てのもののために生きているわけではない。

まさにそうでしかない、このような言葉をドヴォルザークはアメリカを去る直前に、プラハの自分の弟子に書き送っている。

ドヴォルザークがアメリカを去ったのは、彼が故郷を愛するゆえのホームシックからだといわれている。それも、まさにそうなのだろう。

しかし彼にとっての「ホーム」、つまり故郷とは何だったのか。 “故郷に還るドヴォルザーク” の続きを読む

マルティヌーは語る

マルティヌーについて果たしてどのように説明すればいいのだろう。
彼について紹介されている文章を読んでも、いまいちピンとこない。

チェコに生まれ、
幼少から音楽の才能を発揮し、
10代で作曲を始めて
やがてドビュッシーに憧れるようになり、
パリに行って新古典とジャズに染まり、
パリのカフェで会った当時ボストン響指揮者のクーセヴィツキーに見出され
1932年には『弦楽六重奏曲』がクーリッジ財団の一等賞を授与され
68歳の生涯で実に400を超える様々な形式の音楽を作った。

作曲家としての順調なキャリアは理解できても、その音楽がどのように聴き手の自分に関わって来るのかというところが、よくわからない。

ドビュッシーが好きな人や、新古典、ストラヴィンスキーやバルトークが好きな人だったら

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ドヴォルザーク 大作曲家の道

ドヴォルザークは自分でそのように意識していたのかどうか、大作曲家として大成するとしか思えない道を歩んだ。

父はツィターの名手であり、叔父はトランペットの名手だったという、かの大バッハの出生を髣髴とさせる環境にドヴォルザークは生まれた。

そして、初めて手にした楽器がヴァイオリンであり、そのあとヴィオラも弾いたという事も、かの大バッハを髣髴とさせる、

リーマンという教会音楽の作曲もし、教会のオルガンも弾く教師からドイツ語を学ぶうちに、オルガンの奏法のみならず、和声学も学ぶことでカントルの伝統をなぞったことも、 “ドヴォルザーク 大作曲家の道” の続きを読む