詩と真実

公演チラシを作っているときに、タイトルが「ロベルト・シューマンとヨハネス・ブラームス」では文字が多すぎると思ってと煩悶していた。
「シューマンとブラームス」でも多い。だからと言って「S&B」ではカレーになる…

シューマンとブラームスの関係を表すのに「AとB」という形で何と置き換えるべきか。
はじめにヘルマン・ヘッセのナルチスとゴルトムントが思い浮かんだ、「知と愛」というやつだ。これはいい。どちらがナルチスでどちらがゴルトムントなのかという問うだけで、短い評論が書けそうだ。

それで、シューマンとブラームスの影絵を張り合わせて、そこに「知と愛」と書いてみたところ、なんだか違う意味に見えて恥ずかしくなってきた。どんな違う意味かはご想像にお任せしますが、二つの頭が隣り合うと、なんとなくハートっぽくなる…。

そこで、「原因と結果」とか「存在と時間」とか、いろいろ試してみたあげくに、ゲーテ自伝のタイトルである「詩と真実」に行き当たったときに、ピタリとパズルが嵌ったように、一つの画が見えてきた。

ほぼ入れ替わりのように起こったブラームスの登場劇と、シューマンの退場劇。
シューマンの晩年の精神状況についての描写の、そのどれもがなんだか頼りない天使について語ってでもいるようで、それこそおとぎ話のような内容の記述ばかりが残っている。

色々と誤った情報がまことしやかに語られているとブラームスは不平を言い、シューマンは自殺未遂をしたあともしばらく元気で、病院に見舞いに訪れた時には一人で駅まで見送りに来てくれた、と語っている。

ブラームスがシューマンをデュッセルドルフに訪ねたのは1853年。その2年前に書かれたことだ2つのヴァイオリンソナタに、すでにシューマンの精神不安定を読み取りたがる風潮はいまでも大勢を占めている。そもそもシューマンが精神安定だった時期がどれだけあったというのか。

それはしかし、ベートーヴェンやフォーレの晩年の作風を耳の病気のせいだとするのと同じことで、そもそも彼らがどのような音を聴いていたのかということさえ、まったく想像のつかないところなのである。

1847年にメンデルスゾーン、1849年にショパンを相次いで失ったあと、シューマンも自身の晩年の近いことを感じていたのであろうか。ヴァイオリンソナタの第1番はメンデルスゾーン、第2番はフランツ・リストへの挨拶を交えながら、シューマン独特の多層的な意識の反復を突き詰めていく。

同じころ、フランツ・リストは格別の思いでピアノソナタを書き上げ、それをシューマンに捧げている。
ブラームスによるとシューマンはその楽譜をみて喜んでいたとのことだけれど、クララ・シューマンはロベルトにはその楽譜を見せなかったと言っている。

「我々の生活のある事実は、それが真実であるから価値があるのでなく、ある意義を持ったために価値がある」として、創作の結果である詩と、その源たる生活の真実を並べて、ゲーテは自らの自伝を「詩と真実」と題して綴った。

シューマンの作品、ブラームスの作品はそれぞれに詩である。しかし、この二人を並べることで、その源泉が見えてくるのではないか。そうした期待を込めて、この二人の関係を語るうえで、おそらくは主人公になるであろうクララ・シューマンの写真に「詩と真実」の文字を載せたのが、今回のチラシというわけです。

明日15日からの二日間、シューマンとブラームスによるヴァイオリンソナタの全曲をお聴きいただきます。 両日ともまだ少しお席ございますので、お時間のあるかたは是非。

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「シューマン&ブラームス」
ヴァイオリン:上里はな子
ピアノ:松本和将
《前篇》2016年 6月15日(水) 20:00開演
http://www.cafe-montage.com/prg/160615.html
《後篇》2016年 6月16日(木) 20:00開演
http://www.cafe-montage.com/prg/160616.html